最近、テレビを見る時間がめっきり減ってしまった。元からテレビにどっぷりとハマることはなかったのですが、それでもテレビが無いと多少不便だなと思っていたのです。しかし、最近は――時々の話ですが――テレビに全く必要性を見出せなくなることがあります。
大抵の情報収集は新聞かネットで事足りますし、別に見たい音楽グループがあるわけでもありません。強いて言うなら、ネットや新聞を讀む精力すら無くなった(低血圧なので、起床時は相当に危ない状態だったりする)際に「聴く」か、ちょっと興味の湧いている対象の特集があれば見ようかな、とか、その程度です。テレビゲームをするためだけにテレビを置いていると言っても、あながち過言ではなかったりします。
何故かと考えると、思うに、テレビには情報媒体(メディア)として次のような弱点があるではないでしょうか。
一つは情報が一方通行なこと。たとえば新聞では、見出し記事が一番上にあり、一番下には広告が、さらにその上に小コラムがあります。これは誰もが知っている新聞のレイアウトであって、讀み手側は讀みたい箇所だけ讀み、後はとばすことが出来ます。
ところが、テレビは基本的に広告(コマーシャル)をとばすなんてことは出来ませんし、知りたい情報だけを求めることも不可能です。知っていることを何度も繰り返されるとうんざりしますし、逆にまったく知らなかったなんてこともあります。リモコンが常に手元にあるわけではないので、局番を変えるのも億劫です。
さらに、情報が非可逆性という問題もあります。先の新聞では、一度買ってさえしまえば紙として情報が残る以上、いつ讀んでも構いません。朝方にさっと讀んで、夕方もう一度じっくり讀み返すことも出来ます。しかし、テレビは録画でもしていない限り、一度見逃した情報を再び入手するのはほとんど困難です。cmが入ったので別の局番に変えていると、ふと元に戻した時には肝腎のシーンが終わっていたりします。そして、再放送されない限りは永久にそのシーンを見ることは出来ません。
なので、情報受給者(視聴者)たちは重要な情報を見逃すまい、忘れまいと必死になります。そうすると、一々入手した情報が正しいかどうかを判断している暇が無くなってしまいます。そんなことをしていれば、次から次へと押し寄せてくる情報の波で、あっという間に思考がパニックに陥ってしまうからです。仕方なく、入ってきた情報をノータッチで脳に入れ、書き込きます。結果、深層心理にまで入ってしまえば催眠術でいう「洗脳」と同じことが起き、よしんば一時記憶として情報を保管して後で判断しようとしても、元の情報源は二度と手に入らないため、結局不確かな情報としてきれいに忘れ去られる運命にあります。
さらにいうなら、視聴率至上主義がはびこった今日のバラエティー番組は、情報として見る價値すら怪しいと思います。政府の金の垂れ流しを紛糾するなら、一々料理対決をするのに大金を撒き散らす自分たちはどうなのでしょうか。
情報量としては、おそらくテレビは数あるマスメディアの中でもトップを誇るでしょう。問題は、情報の「質」があまりにもお粗末であることです。そのため、テレビはしばしば権力者の情報操作に利用されます。またそれ以前に、情報を「押し付けられる」のはどこか心の奥で反発したくなります。情報媒体は、常に情報を受ける側に全ての自由があって当然だと思う。そんな悶々とした気持ちが、私をどんどんテレビから遠ざけていくのです。
と、散々言ってきましたが、そんなテレビにもそれなりの長所があります。情報量が膨大なので、記録(ドキュメンタリー)としての利用價値は十分にあると思います。また、美術展の特集や野球中継など、文章だけではどうしても伝えきれない雰囲気といった情報も、テレビでは容易に伝えることが出来ます。現場中継という史上最速報道も、やはりテレビだけにしか出来ないことでしょう。これからのテレビは、その長所を上手く生かしていけるような形に――生き残るために、否応なく――変わっていくと思うのです。