照る日 曇る日 いろいろあるよ

2005年総括

私の2005年を総括すると、やはり「交流」が一番だったやうな気がする。

就職もしたし、初めてのオフ会も経験した。旅行もたくさん行った(旅行と名の付くものは6回行はれた)。Web関係で知り合ひも大勢増え――尤も、元が少ないから大きく増えたやうに見えるだけといふ説もあるが、増えたことには違ひない――mixiにも誘っていただいた。これは、何にも代へ難い利益であったと思ふ。指摘していただいたからこそ、気づけた点も多いし、理解も早まったと思ふ。悪い点・良い点、厳しい・暖かいに限らず、色々指摘してくださってゐる方々には本当に感謝してゐます。

去年の私の文書を読み返すと、嗚呼、恥ずかしい。稚拙だと思ふ。CSSも駄目で、読み辛い。でもこれは、今年の私が確実に成長した証だと見ることも出来る。ここで必要なのは、過去の自分を恥じると同時に、過去の自分を分析して批判する事ではないかと思ふ。少なくとも、その時の自分は「正しい」と思って書いたことは、もしかしたら同じ事を考へてゐる人が存在する可能性を示唆してゐる。とにかく、「今の自分とは違ふ意見」は、全て今の自分のあり方を検証する題材になり得る。この検証の連続こそが、自分を成長させるために必要な一番の行動であり、自分としての一貫性のあり方ではないだらうかと思ふのである。かう考へれば、意見を変へる事が必ずしも一貫性と矛盾するといふことではないとも言へるだらう。

とまあ格好の良いことを言ってはみたが、やはり自分は平均よりも一段劣った人間である。より深く考察を行ふ「本物」の人たちには到底敵はない。敵はないからこそ、もっと出会ひを求めることが重要ではないかと、今年を振り返るに当たって強く感じた点である。

先人への敬意

久しぶりに特定の人に対して批判する。

何事に対してもさうだけど、あるものを「ネタ」として扱ふ場合には、まづその元ネタになるものへの敬意だけは忘れてはならなず、そこに年齢などは全く関係ない。

例へば私のやうな同人屋(と言って良いかはここでは問はない)であっても、原作者への敬意は最低限のマナーである。土台、ネタ扱ひしてゐる時点で十分に失礼ではあるし、さういふところから同人といふ存在そのものを嫌ふ者も、一時期程ではないが確かにゐる。全ての同人屋はそのことに対して十分に自覚すべきです。自覚した上で、コスプレにしろ同人誌にしろ、「楽しみたい」といふエンターテイメントの本質の流れに沿ふ形で行はれるべきです。

エンターテイメントは「楽しむ・楽しませる」といふ大前提がある分、ネタ扱ひといふ面ではある程度の許容が認められ得る(必ずしも認められるとは限らない)。言ひ換へれば、エンターテイメント以外のものに対して同じ論理は通用しない。こと思想的なものなら、ネタ扱ひすることはそれを真面目に思慮する人に対する侮蔑であると言っても決して過言ではない。ネタで正字正かな遣ひを使っている人は私以外にも絶対にいます。といふ逃げ口は、「他の人がやるから俺もやる」「赤信号、みんなで渡れば怖くない」といふ、やはり主体性の無い行為だ。指摘されて改めるのは結構。しかし、その指摘や自分自身の行動に対して論理性を求めず、「ただ言はれたからやめた」といふのは、やはり正しさを求めてそれを行ふ人たちに対する侮蔑ではないだらうか。

まあ、この辺りは山岸氏のあり方の問題なのでこれ以上の言及はしないが、取り敢へず、止める止めない、ネタにするしないに関はらず、批判されて「ネタですよ悪い?」みたいな居直りは慎むべきだと思ふ。

ところで、何故叢日誌の特定の section をリンクする場合は http://over.nysox.jp/diary/YYYY/MM#dDDnNN という形式の URI で行って下さい。それ意外では私に対する侮辱になります。といふ論理になるのだらうか。それはURIやハイパーリンクやWWWに対する侮辱にはならないのだらうか。


理由なんてありませんが、捻り出そうと思えば幾つかなら捻り出せますが、出した方が良いでしょうか。

この一言に、山岸氏の態度が現れてゐる。真面目に論じてゐる人に対して失礼。礼を失して平然としてゐられる人間に、碌な奴はゐない。

相手が間違へてゐるからと言って、自分の間違ひが正当化されることは決してない。何故その程度のことが解らないのだらう。しかもさう言ひながらまたパースエラー出してゐるしね。――人のことを言へないことは多々あることを十分承知しながら言ふが――アップロードする際に確認をとってゐれば、普通即座に訂正する。カッとなった時こそ一呼吸置く必要がある。それが文書を公開する最低限の作法である。


遊びとして正字正かな遣ひを使うのは良くない事なのですか。コスチュームプレイを樂しんだ事は一度もありませんので、理解出来かねますが、似たような事を私はしていたのでしょうか。野嵜さんがそう思うのならばそうなのではないですか。

仰る通りかつと來て勢ひで書いた為の誤変換でしょう。直しました。ご指摘有難う御座います。

ですが野嵜さんもかつと來て勢ひで書いた為かは判りませんが、頻繁に誤変換、誤入力をする事があると思うのですが。確か野嵜さんは掲示板辺りで推敲をしていない、といった内容の発言をしていたので、それが理由だとは思いますが、よくもまあそんな事が言えますね。

と言ひたいだけだらうと言いたいだけでしょう? 所謂吉野家コピペ。今更こんな昔なのを引っ張り出されましても。

理由なんてありませんが、捻り出そうと思えば幾つかなら捻り出せますが、出した方が良いでしょうか。

上記引用の強調部分から私は相手が間違へてゐるからと言って、自分の間違ひが正当化されることは決してないと断じました。その理由は「相手が誤を指摘してゐるのに、当人はその誤について『理由がない』と述べるにとどまり、逆に相手の誤を指摘してゐるだけ」だからです。そして、それはこの引用を総括する自分の事を棚に上げてよく言うよといふタイトルが一番よく表してゐるではありませんか。

そういう久樹さんのpage is not Valid XHTML 1.1!だそうですが。については、(パースエラーとnot Validではレベルが違ひますが、レベルの差など瑣末な事であることは違ひありませんので)ご指摘の通りですので訂正いたしました。ありがたうございます。

件の文書を書き上げてから三十分程度で自分で気付き、直したのですが、駄目ですか。と言ひますが、時間の問題ではないのです。アップロードしたら、まづ自分が一番最初にアクセスして問題がないことを確認した方がよろしいですよ、といふだけの話なのです。ローカルでのチェックもやりゃ良いのでせうが、そこまでは言ひません。

ところで、揚げ足取りといふのは、話の本筋から外れてその過ちのみを持って相手を非難する場合に用ゐられる表現であると私は思ふのですが、私はあくまでもその前の文書が主軸であり、パースエラーはついでの指摘に過ぎないのですが、指摘することだけでも揚げ足取りに該当するのでしたら、私は金輪際山岸氏にパースエラー云々について指摘いたしません。余計なお世話でした。申し訳ございません。


間違へることは誰にでもあります。でも、その間違ひをお互いに指摘し合へる環境こそが、素晴らしいのではないでせうか。そこで「自分のことを棚に上げて」とか「鬼の首を取ったかのように」なんて言っては、誰も言ひたくなくなりはしないでせうか。でもそれって、自分にとってすごく不幸なことだと思ふのですよ。


何故XMLでなければならないのか

続きなやうで続きでないかも。云々。

HTMLは、自然言語を自然のままマーク付けするのが理想である。この点が、私の原点である。さういふ意味では、野嵜氏の主張に近しいものは、ある。ただ、原稿用紙をそのまま出力することがないやうに、書き上げられた文書は、原稿からいくつかの課程を通してメタ的な情報を加え、本と謂ふ形を整えて、さうして読者に向けて発信される。これと同じ事を、XSLTを用ゐる事で実現出来る。

出力する形式は、PDFだらうが、RDFだらうが、どうでも良い。より個々ケースに合ふ優れた形式を自由に選択出来るやうになれば、素晴らしい。しかし現状、さういふ事は難しいから、一番汎用性がある(と言はれる)XHTML1.1で出力してゐるだけに過ぎない。ISO-HTMLは、それ自体は非常に完成された仕様ではあり、単にブラウジングのみに限定するなら、最も優れた仕様であると思ふ。だが、例へば北村さんところの「余所の日記のデータをRSSに加工する」なんて事は、ISO-HTMLよりもXHTMLである方が、明らかにやりやすいのである(実際に北村氏がどう思はれてゐるかは分かりませんが、少なくとも私はそのはうがやりやすいし、正規表現を使ふよりもずっとスマートだと思ふ)

野嵜氏は、自然言語を自然にマーク付けして、そのまま公開する、といふリニアな立場を堅持なされてゐる。私は、作成時のマーク付けと、公開時のマーク付けは異なってゐて良いと思ってゐる。私がXMLに拘る理由を強いて言へば、さういふことなのです。といふか、XMLは使ひ捨て、昔のCSVファイルみたいなもの。たとへば、オールFLASHで公開するサイトがあっても良い。オールPDFでも良い。ただ、代替としてXMLファイル(或いはRDFファイル)だけ合はせて公開しておけば、情報は伝はる。XMLの高い互換性は、さういふ風に生かされれば良いのになあと思ふ。

ところで、うちは某方面で謂ふのじたんフォロワーには該当しなかった模様です。どうなんでせうね。どう思はれてゐるんでせうね。取り敢へず、影響は少なからず受けてはゐるとは思ひます。まあ、以前はともかく今なほ当の野嵜氏がうちのサイトを見てゐるかどうかは謎でありますが。云々。


何故私がXHTML1.1で出力するのか

ここを読まれてゐる方の中には、Webについての話し合ひよりFFTや私事についての話を期待されてゐる方も、ひょっとしたらをられるかもしれませんが、基本的に雑念雑記は記事予備軍及び更新報告の場所でありますので、私事はmixiのはうに書きますし、FFT的な話は水面下でこそこそと進めてをりますので、必然的にここはWeb技術――取り分けHTMLだのCSSだのの話が多くなってしまふのですが、まあ、読んで損するやうなことを書くつもりはありませんので、たまにはこちらも読まれてもよろしいかと思はれます。閑話休題。最近さとみかん方面で言はれるHTMLやXMLについての話である。

私に言はせればXHTML1.0も1.1も、当然現在審議中であるXHTML2.0も気に入らないものである。HTML4.01も気に入らない。強いて言ふならISO-HTMLが一番許せる仕様であるが、これも本当は気に入らない。

そもそも、未だにHTML4.01がどうのこうのといってゐる時点で既にをかしい。HTML4.01は、HTML3x時代の屑仕様を改める意味で、言はば「指針」的なものであった筈だ。ゆゑに、StrictとTransitionalといふ暫定的な区分けが設けられ、HTML3xより速やかに移行出来るやう配慮された。そのため、Strictであっても、実質一部の物理要素は使用可能である。従って、HTML4.01は妥協の産物、と見なすことは可能である。もしHTML4.02なる仕様が出来てゐれば、より厳格な記述が求められたかも知れないが、結果的にHTML4.01で示された道でさへ、在りし日のWWWには浸透しなかった。当然、そのHTML4.01に合はせたISO-HTMLもXHTML1.0も1.1も、随所に不都合がある。さうかと思へば、XHTML2.0は、取り敢へずXMLとして便利ならそれで良いといふ感じである。少なくとも、私はXHTML2.0をHTMLとは認めがたい。

では、何故私が、敢へてXHTML1.1を、わざわざIE振り分けなんて禍々しいことをしてまで選んでゐるのか。――結局のところ、最大多数の最大幸福を選んだだけに過ぎない。

少なくとも、私は現行のいかなる(HTML関連の)仕様も気に入らない。情報共有に相応しい仕様だとは思はない。思はないからこそ、XML主体のデータで公開するのである。提供するは文書であり、文書に付属する構造情報である。ゆゑに、私は私が公開した文書を、個々が読むに相応しい形に変換して読んでもらひたいと思ってゐる。以前野嵜氏が言ったことだが、XMLデータは「使ひ捨て」されるデータである。勝手にダウンロードし、勝手に変換して、元データはとっとと使ひ捨てして欲しいのである。だから、私が定義したISO-HTMLをよりさらに自然に記述出来るやう定義した独自のXML文書のまま公開しても、私の中では正当であるのだが、どうせなら多くのブラウザと互換がある方が良いし、そもそもさういふ技術を知らない人間には取り敢へずXHTMLといふ形が一番都合がよい、といふ理屈である。ゆゑに、XML的処理を期待しないInternet Explorerではapplication/xml(とかその辺)で出力しない、といふのも「あり」なのである。


WMAのデジタル著作権機能。気持ちはわかるが面倒くさいし、不便。

先日、HDを総引っ越しした。読み込み速度も向上して、値段と比較してもなかなか満足してゐる。……のは良いのだけど、WMAファイルを軒並み保護機能ONで登録すると言ふ大失態を犯した所為で、ライセンスの復元に泣いてをります。

著作権保護の意義はわかるが、一日にどれだけのライセンスが復元出来るのだらうか。1日に復元出来る制限数を越えたため、ライセンスを復元出来ませんといふだけで、どのファイルのライセンスが復元されたのか、さっぱり分からない。といふか、頻繁にサーバと接続が切れるし、本当にライセンスを復元出来てゐるかどうかさへ怪しい。HDの容量が指数関数的に増大していく中、一気に復元出来るライセンスの量がこれほどに少ないと(約650ファイルで既に3日間もライセンス復元を試みてゐる)にっちもさっちもいかない。

保護は分かる。ただ、そのライセンスの管理あたりをもう少しクリアにしてもらへないものだらうか。大体、このライセンスの復元は1ファイル10回までといふ制限がある。といふことは、OSのクリーンインストールは10回までしか出来ないといふことになる。そりあ、CDから再度取り込めば問題ないのだらうが、面倒ではないか。そもそも、CDにだって寿命はある。

さういふ訳で、今後取り込む音楽ファイルは、遅きに失しながらもすべてmp3に統一しようと思ふ。あー面倒。


促音・拗音の小書き

少し前から、促音と拗音の小書きを復活させてゐる。

基本的には、小書きは音便に近しいものであると私は考へる。といふより、歴史的仮名遣は私の中である種定着した感はありますが、どうしても小書きだけは現代仮名遣い式の方が優れてゐるやうな気がしてならないのです。勿論、これは私が生まれてこの方十数年を現代仮名遣いの中で生きたためであるのでうが、ある意味、現代仮名遣いの中で唯一「受け入れられた」部分であるといふことも、また否定出来ないのであります。


屠殺から菜食主義者への疑問

普段、私たちは自分の口にするもののルーツを知る特段の必要はありません。社会は個人が考へる以上に強い信用によって成り立ってゐます。もちろん、知ればそれなりに得られることはあるでせう。屠殺の実態を知り、その結果が菜食主義者であっても、それは間違ひとは言へないでせう。ええ、屠殺なんて正直直視出来るものではありません。

しかしながら、屠殺から解放された家畜に残るものは何か。屠殺に商業的な価値がある以上、その種の生存にとってはマイナスであることは否定出来ますまい。屠殺せずとも、生涯を拘束されて生き、そして毛や乳の出せなくなり、商業的価値を失した家畜がどのような運命をたどるのか、もう少し踏み込んで考へれば、現状となにも変はりないやうないたします。それが、その種にとって良いことであるのか悪いことであるのか、私には判断がつきませぬ。

ちなみに、私は自然環境保護論者でありますので、基本的に植物の命の軽視は歓迎いたしません。また、自分の育てた家畜が皿の上っても、ありがたく頂戴するのが哀惜であると考へます。犬を食はうが、兎を食はうが、鯨を食はうが、虫を食はうが、或いは人を食はうが(但し日本では遺体損壊罪に問はれる虞がある)、私は一向にかまはない。自分が食ふかどうかは別として。


好いCSS

2005年12月の記事 - Blog in the Junkyard

久しぶりに「いいなあ」と思ったスタイル。触発されて高天原スタイルも若干行間と段落間のマージンを多めにしてみた。

CSSで言へば、言葉言葉言葉のデフォルトスタイルに背景画像が適応されたやうだが、あの行間では背景は少しきついものがあるやうな気がする。もう少し行間を広げてみては如何だらうか。と出しゃばってみる。


HTMLを道路交通法に譬へれば

「閲読者」は「歩行者」である。

法を知らず、また法を知らぬままでも堂々と往来を出歩く。赤信号だらうが、横断禁止だらうが、車道だらうが、他人の私有地内だらうが、勝手気ままに歩く。それでも、他の交通は歩行者を第一に保護しなければならない。所謂アクセシビリティなどの話である。

「Webサイト制作者」は「車の運転者」である。

運転するためには、法を知つておかなければならない。もし信号無視などすれば、たちまち事故を起こし、被害者より責められる。責められても、仕方がない。それが過失と呼ばれるものである。

しかし、「自転車・軽車両」、或いは「原付」などの「ライトユーザー」は、しばしば法を知らなくとも、平然と車に乗つてゐる。二段階右折など守らないし、信号も守らないし、逆走だつてお手の物である。自動車運転者からすれば、或いは歩行者からしても当然迷惑この上ないが、ライトユーザーは知らないがゆゑにお構ひなしである。そして、注意しても「人の勝手」で押しとほすし、仮に事故を起こしても「知らなかつた」で押しとほす。原付運転者が自動車免許を取得すると、急に怖くなるのは、単に今まで知らなかつただけに過ぎない。今まで運がよかつただけに過ぎない。

ライトユーザーは、世の大半を占め、世を動かす重要層であるが、また同時に、一番手に負へない層だとも言へる。


脳細胞死滅度

疑つてみた。脳細胞死滅度チェッカー

あなたの脳は86.2 %死滅しています。

エマージェンシー! エマージェンシー!

貴方の脳は既にレッドゾーンを突破しています!

今すぐ病院へ!

……と言いたいところですが、現代医学では貴方の症状を改善することはできないと思われます。

コレも運命と思って諦めて下さい。

私には、いつ脳が死んでもイイように、悔いの無いように日々を生きるようアドバイスをすることくらいしかできません。

くすんくすん……。

il||li _| ̄|○ il||li


オキシドールで酸欠下を生き残ることは可能か

ふと、仕事中に考へた。

かのスーパードクターKを初めとして、酸欠で主人公達がピンチのシーンに割ところころ出てくるオキシドール君。中学の頃に二酸化マンガンと混ぜて反応させてシュワシュワと白い泡が出るのを見る実験をした経験が、皆さんの中にもあると思ふ。でもこいつ、実際の有効成分(過酸化水素)はたつたの質量比3%しか含まれてゐない。果たしてこんな頼りないもので、本当に生き残ることは可能なんだらうか。(ちなみに、過酸化水素水は消防法における第六類危険物に該当するので、所定量以上の取り扱ひには危険物取扱者甲種又は乙種6類の免許保持者が必要)

調べると、過酸化水素の比重は4℃の水と比較して1.4422倍。3%といふことは、1リットルにつき30mlの過酸化水素が含まれてゐることになるので、オキシドール1リットル中に過酸化水素は43.266g含まれてゐることになる。やつぱり少ない…。大丈夫か?

過酸化水素の分子量は34であるので、オキシドール1リットル中に含まれる過酸化水素のmol数は約1.3molといふことになる。過酸化水素の化学式はH2O2であり、分解を式で表すと

H2O2→H2+O2

といふ簡単な分かれ方をする。つまり、1モルの過酸化水素につき、1モルの酸素と水素が取り出せるのである。まあ、世の中にはモルと言ふ言葉を聞くだけで痙攣を起こす人もゐるらしいが、化学の中では大変便利な単位である。なにせ、これが分かればこいつから発生する気体の体積が判る。所謂のアボガドロの法則である。それによれば、あらゆる気体は、1モルにつき22.4リットルの体積を持つ。これを代入すれば、1.3×22.4で29.1リットルの純酸素が確保出来るといふことになる。

市販されてゐるオキシドールは、大体500ml。まあ病院向けと言ふことで、もしかしたらガロン瓶分ぐらゐは確保してゐるかも知れないので、1ガロン(約3.5リットル、但し英ガロンは約4.5リットル)を元に考へる。すると、確保出来る酸素量は101.85リットルといふことになる。また、人間は1分間に約250ミリリットルの酸素を体内に取り込み、そして体内から約200ミリリットルの二酸化炭素を吐き出している。らしい(安静時)。といふことは、4分で1リットル

総じて、オキシドールガロン瓶確保で生き延びられる時間は……407.4分(約6.8時間)! 割と長持ちするもんである。おまけに、元々部屋の中に入つてゐる酸素があるのだから、これだけ酸素があれば、ドクターKでなくとも、一休さんよろしく妙案の一つや二つ浮かばうといふものである。

中々便利だオキシドール。みなさんも、万が一の備えとして是非ご検討を。

朝の出社中に気付く。

実際問題、過酸化水素を電気分解までする奴なんてゐるんだらうか

普通に考へれば、2(H2O2)→2(H2O)+O2で十分だらう。てか、そんなピンチな時に都合良くプラチナ板とか導線とか隔膜とか、あまつさへ導線の電気容量に見合つた電源とか、見つかるんだらうか。第一、電気分解できるのならわざわざ過酸化水素ぢやなくても普通の水で十分なわけだし。

……えーと、といふわけで、モル数が半分になるから、単に触媒での分解だけした場合、取り出せる酸素量は約51リットルで、約204分(3.4時間)もつといふ計算になります。ええさうです。素で間違へましたよ。ホントに化学屋さんなんでせうか。この人は。たちの悪いボケでしたけど、突つ込みもしつかり入つてをりました。いつもありがたうございます。

結論:オキシドールと一緒に、電気分解セットも用意すると効果抜群ですよ(おい

オキシドールの3%は、容量パーセント濃度ではなく質量パーセント濃度らしいです。げげ。全然計算ちがつてくるぢやん。

駄目駄目だ。一から計算し直し。

オキシドール1リットル(3w/v%)=過酸化水素30g分≒0.88mol→分解後は酸素が0.44mol発生≒酸素10リットル分→リットル当たり40分程→ガロン瓶確保で2.3時間分

当初計算結果よりもやたら少なくなつてしまつたなあ。まあ、ここまでミスしまくつてたらしようがないんですが。……ホントに化学屋なのか。私は?

んーでも、ここまで少ないとなると、500mm瓶を見つけた程度ぢや気休め程度にしかならないなあ。20分しか持たないんだし。


キャプチャには何を選ぶべきか

問ふ。

TVの録画をしたい時、今であれば、PC用のTVキャプチャを買ふのと、それ専用のHD付きDVDレコーダを買ふのと、どちらが良いのでせうか。

いや、無論、双方一長一短なのは分かり切つてゐるので、以下にぐぐつたなどして自分の想定してゐる範囲での利害をまとめてみる。何かアドバイスをいただければ嬉しいのですが、単なるまとめ文になる可能性も高い。

どちらかといへば、ハードエンコードのUSBのキャプチャが両方の欠点を補つてゐるやうな気がする。違ふかも。

TVキャプチャ

  • PCIバス、PCカードからUSBにパラレル接続まで、色々な種類がある。品質重視ならPCIバス>USB2.0>SCIS接続>|越えられない壁|>略…
  • 録画時の圧縮の手法によりソフトエンコードとハードエンコードに分かれる。前者はCPUを利用するため、単価が安いが色々大変。らしい。
  • ハードディスクをいつでも増設できるのが嬉しい。
  • DVDに落とすのが面倒。しかもCPUを喰ふ。でも落とさないと容量逼迫でハードディスクENDの虞も。
  • 結局高性能なものになるとHD無しのDVDレコーダとたいして変はらないと言ふ説も。

HD付きDVDレコーダ

  • 接続とか面倒なことをかんがえなくて良い。
  • 機能が完結してるのでPC側の事情を考慮しなくて良い。放置プレイ可。
  • ハードディスクを増設出来ない。万が一ハードディスクが亡くなつたら死ねる。

なでしこを取り入れたWebアプリケーション開発環境

WEB開発環境「葵(あおい)」について

なでしこ文法で掲示板が作られるのであれば、これは楽だ。何せ、私にとつて日本語とアルファベットでは記述ミスの発見効率や語彙の覚える労力の桁が違ふ。4つぐらゐ違ふ。作業スピードなど比較にならない。

半年と少しの間、ハイペースで開発しますとのことだが、あまりハイペース過ぎて不具合が出ないやうに祈る次第。


敢へて再掲してみる

私がFirefoxを使はない理由

個人的にはOperaのレンダリングの方が気に食わない。

どちらかというと、Mozilla系の方がカッチリしていて良い印象。

Operaは歴代、日本語の表示に弱い。未だにフォントセットのうち一つのファミリしかマッチングしない。たとえば、欧文フォントを制作者側で指定して、和文の部分は 'sans-serif' とかでユーザー設定に任せたいのに、デフォルトにならない。何故か勝手に "MS 明朝" とか、"MS ゴシック" とかになって、結果が不定。好い加減にして欲しい。これだけで使いたくなくなる。

あと、子孫要素に影響する 'text-decoration' の装飾が ver6 の頃より退化している。線がずれて体裁が悪い。

Mozillaは 'font-family' の実装についてはもっとも優れている。

'text-align: justify' で和文の両端揃えに対応したのも素晴らしい。

'text-decoration' の装飾も唯一正しく実装されている。

Operaは比較的カスタマイズが多用だけれども、その設定が異様にわかり難い。新しいバーションをインストールする度にどう設定したのか手順を忘れてしまう。毎回、混乱する。初期状態も一般的とは言えない。ショートカットやマウスジャスチャーの設定も煩わしい。

ださうです。そりあ実装や多言語対応の面ではMozillaが強いでせうなあ。気に食ふかどうかは好きずき。

尤も、私が問題にしてゐるのはそんなところぢやないのだけれど。


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