嗚呼、2年越しでも何でも良い。おめでたう。阪神。ありがたう。輝くその名ぞ阪神タイガース
!
岡田監督は相変わらず口下手だけれども、是非とも日本一に向かつて走り続けていただきたいものです。
先日書いた久樹の見解に北村さんが違和感を覚えられたやうなので、指摘された点について反応してみます。
cite要素に関して、久樹アマテルさんの見解を拝見したのですが、何となく違和感がありました。
cite要素を使ふ上でも要素間の機械的な関係は全く考へない方が賢明です。という結論については同意なのですが、でもそれはもとからそういうものだったのでは、と思うのです。HTMLの仕様から見ても、cite要素はその前後のblockquote要素やq要素と関連付けて何らかの処理を期待するようにはなっていないようですし。
(中略)
つまり、cite要素やdfn要素は「ここは引用元の題名」「ここは定義語」ということを示せればそれでOKなのであって、決してそれ以上のものではないと思うのです。なのでこれらを
兄弟関係に依存した要素と言うのには疑問を感じます。「cite要素やdfn要素は、もともと前後の要素と関連付けて処理されるようなものではない」と考えていれば、別に何も後から面倒になることはないわけで、……というか、そもそもHTMLは文章の構造をマークアップで明示するものなのだから、前後がどうであっても、その箇所が引用元だったり定義語であるのなら遠慮なくcite要素やdfn要素としてマークアップしていけばよいように思います。
どうやら書き方が悪かつたやうです。兄弟関係に依存
といふ表現は、dfn要素にしてもcite要素にしても、性質上それ単独では成立し得ない(必ず対象が存在する)ものですから、「この定義語はあの文章に繋がるのか」或いは「この引用元は恐らくあの引用文に対するものだらう」と閲読者側が個々で判断する関係を、先に出るか後に出るかについて兄弟
といふ書き方をしただけですから、これは北村さんの仰る事と変はりはないと思はれます。勿論、機械的な関係は無いわけですから、出来れば別の手段で引用元を明示しておいた方が良く、依存してしまふと、後にXMLに変更して機械的な関係を求めるときに厄介だと言つたわけです。
しかし、論文の最後の参考文献ページに、cite要素のtitle属性に使用箇所を併記してまとめて紹介する、なんて使ひ方も考へられる上に、一般的或いはXML的な兄弟関係とは異なる用法ですから、兄弟関係に依存
といふ表現は確かに適切ではありませんでした。
ご指摘どうもありがたうございます。
引用論争そのものについては、Akkyさんの決着宣言を持つて一応終了といふことになりさうですが、平行して引用にcite要素を用ゐるのは妥当かといふ論争が別の場所で起こつてゐる模様です。といふわけで、私の見解を少しばかり。
結論を先に言へば、HTMLにおいて――XHTML1.1までと置き換へても構ひません――cite要素をq要素又はblockquote要素の外に用ゐる事は妥当ですが、それだけに依存するのは XML設計上好ましくないと考へてをります。
単純にXML的な発想を持てば、兄弟――特にPCDATAを含む兄弟関係といふものは非常に厄介な存在で、処理が非常に複雑になります。従つて、XML的な応用が今後も進むものと思はれるXHTML2.0以降において、cite要素を用ゐるのは
cite要素に依存するのは後々に面倒な事になりかねず、積極的には用ゐない方が良いと言へます。
しかしながら、少なくともHTMLは、cite要素の他にもdl-dt-dd要素やdfn要素など、兄弟関係に
閲読者の独自の判断に依存した要素が多数定義されてゐるところからも、自然言語を自然なままマーク付けするといふ発想を元にしてゐると見なすべきです。従つて、要素間の関係に閲読者の多少の解釈を必要としてをり、cite要素を使ふ上でも要素間の機械的な関係は全く考へない方が賢明です。
ともあれ、現在のXHTMLは過渡的な存在であり、現状仕様と実装に応じて妥協し対応していくか、それとも将来を見越したより良い設計を立てていくかはそれぞれの信念に基づく話であり、容易に断じられる話ではないと思ひます。
最近某方面を騒がせてゐる引用元の表示と表記の改変に関する議論について。
月初めの、それも二十日近くも放置してゐた挙げ句にHTML論争の話をするのは、もちろん好ましいとは言へないと思ひますが、良くも悪くも「一言居士」な性を生まれ持つてをりますので、例によつて一言述べさせて貰ひます。とは言つても、これもまた例のごとく、今回の文章も特に誰かに対して何か言ふわけではなく、むしろ自分自身の方針の再確認と、一般的な傾向に対する一言に過ぎないのであります。
さて、今回の論争では、特に文章の改竄と引用元の明示法の二つが争点ですが、どうも、私が読む限りでは双方の意見に食ひ違ひがあるやうに見受けられます。前者と後者は分離して考へるべき問題であり、どちらかの意見が間違つてゐればもう片方の意見も間違つてゐる、といふのはをかしいと思ふのです。後半に入り多少分離が進みつつありますが、かういふことは不必要な指摘を招くだけですから、今後も注意しておくべきでせう。
今のところ私の中での結論は、引用元はcite属性とtitle属性の併用で完全に明示されたと見なす一方、「かなづかい」の変更は原作者の意向を踏まへるべき(特に今回の場合は、変更の必然性は薄い)としてをります。
cite属性とtitle属性を二つ持ち出したのは、cite属性は引用元の記述法としてISO(国際標準化機構)やJIS(日本工業規格)でも認定されてゐる正式な用法であり、ここでInternetExplorerの実装云々の話を出すのであれば、たとへるなら「このJIS規格のネジはうちのドライバーでは使へなかつた。ネジ会社は今市場に出回つてゐるドライバーに対応すべきだ」といふやうなものであり、全く統一規格の意義を崩壊させるものだからです。
しかし、さうは言つたところでInternetExplorerはこの規格にさつぱり準拠してくれないのだから、引用元への配慮を考へ、かつcite属性では明示されにくい引用元のタイトルを表記出来る手段としてtitle属性を併用する方向といふのが妥当なところだ、と考へてゐるのです。少なくとも属性である限りは、その要素との関連性は確実であり、10年先でも100年先でもこれは恒久的に継続します。一方、リンクアンカーは、明示としての根拠も、その関連性も曖昧であり、もつと言ふならば、印刷するならリンクアンカーなんて邪魔なだけな上に引用元も明示されないのですから、ここは真つ当なUAに配慮すべきだと考へるからです。
このやうな折衷案はW3C信者(私がさうであるかどうかは別として)らしからぬと言はれるかも知れませんが、JISだらうがISOだらうがW3Cだらうが、理想と現実の折衷案を求めることはしばしばあります(HTML3.xが好例)。それが悪いとは言はない。机上の空論を唱へてゐても現実は動かない。逆に、折衷案に理想への道筋を示すことは、現実を理想へ持つて行くための手段として妥当だといへます。
次に引用元の文章。これは、既に野嵜さんが指摘されてゐるやうに、概ねそれを変更する相当な理由には当たらないと私は思ふのです。逆に言ふならば、正統表記(旧字・歴史的仮名遣ひ)で書かれた文章を勝手に新字現代かなづかいに改めることもそれを変更する相当な理由には当たらないと言へます。
引用ついでで話は逸れますが、これから高天原で引用を用ゐるときは、一部分づつ引用するのではなく、まづ話に必要な全文を冒頭に引用する方法をとることにします。これは、URLの恒久性に対する疑問であり、また、引用を小分けすることで変な誤解や食ひ違ひを起こさせないやうにするためであります。
最後に内省を込めて書きますが、少なくとも相手の意見について意見を述べるときは、自分の文章については一番真面目な書き方をすべきです。変に茶化てみたり、罵詈雑言を用ゐるべきではなく、少なくとも私は、さういふ人間の発言はその人への信頼度を大幅に落として読むことにしてゐます。もちろん、私が罵詈雑言や茶化してゐる時は、これを読んでをられる方々も眉につばをつけて読んでしまはれても仕方がない、と考へてをります。さういふ意味で、件の引用論争は既に論争ではなくなつてゐる気がします。