人はそれを「セーブ」と呼びます

対價の話

高天原で広告をやらないのは、別に高天原にある情報が「対價をもらふ程必要」である類のものではないと思ふからです。それ以上でもそれ以下でもありません。

ただ、もしこれがもっと有用なもので、しかもそれなりに労力を要するものであれば、自分のやったことに対して対價を求めるのは、資本社会として当然の話で、「お疲れ様」の言葉に代へて投げ銭を投げても、それは構はない事ではありませんか。まして、面と向かって対價を求めるでもなく、広告なりなんなりでそれを埋めようと言ふのですから、随分良心的な話だと私は思ふのです(TVやラジオもさうでせう) 別に、高天原を慈善でやってゐるつもりはない。本当なら、サーバ維持費と通信費と電気代(要するにこれを維持する諸費用)ぐらゐは目指したい程です。


まあしかし、匿名社会を敵に回しちゃいかんよ。今のネット社会は。誰かを祭り上げるのも、封殺するのも、匿名社会の感情次第なのですから。それを逆なでするやうなことをしてはいけない。それが社会と言ふものだと思ふ。


結局、例の2ch騒動は、転載サイト管理人による2chを見下した発言の連発への反感のみが正当な動機になりうると思ふ。この辺りは火種は山ほどあったんだけど、最終的に火を付けたのは管理者の態度。みたいなことも言ってゐるし、分ってゐる人には分ってゐるのだらう。だって、転載が駄目なら、GoogleもYahoo!もみんな潰れないといけなくなるのだし。

畏国民の身体能力

折角Web Ringに登録されたのだから、記念にFFTの話題をいたします。


先日(と言っても結構前だが)畏国民の立ち幅跳びの平均記録は1.5mといふ話をしたら、「じゃあ水平にはその半分の距離を飛べるわけですね」といった内容のメールを戴いた。なるほどなあ、といふことで、ちょっとこれについて考へてみることにする。

FFTの世界にはJumoはジャンプ力を表すパラメータです。Jumpの値と同じ高さ(h)だけ飛び上がることができ、値の半分の距離(パネル)の溝を水平に飛び越すことができます。といふの法則がある。即ち、畏国民は高飛びの半分の距離を幅跳び出来るといふわけだ。

そこで、立ちではないが、世界記録を見てみると、走り高跳びの世界記録がキューバのハビエル=ソトマヨルがたたき出した2m45cmであり、走り幅跳びではアメリカのマイク=パウエルの8m95cmが最高となってゐる。……アレ? 水平跳びは垂直の半分どころか、実に4倍近い数字になってゐるわけだが、こりゃ一体どういふことだらうか?

物理的に考へてみよう。走り幅跳びはその跳躍記録は、助走のスピードと高い関係があると言はれてゐる。つまり、助走によって生じた慣性力によって、より遠くに飛ぶわけである。ところが、走り高跳びは根本的に「距離」ではなく「高さ」を測る競技であるため、いくら助走をつけてもその慣性を直接的に記録に結びつけることは出来ない。それどころか、高く飛ぶためには重力といふ強大な敵とまで戦はなければならい。つまり、高跳びより幅跳びの方が記録が良いのは当たり前の話なのである(※)。では、畏国民たちは一体どうなってゐるのだらうか?

……どう考へても納得の出来る答へが出てこない。畏国民は極度の高所恐怖症説も脳内で提唱されたが、「それだとわざわざ教会の天井まで登ったザルモゥの暴挙の説明がつかない」とあっさり退けられたし、「畏国民は遠くよりも高く飛べるよう生理的に発達してゐるのだ」といふ畏国民ノミ・バッタ説も、ドット絵で見る限り畏国民の足の付き方は我々と同じに見えるのだから考へにくい(だいたい、それだと普通に歩けなくなる) 畏国民は本当に謎深き民族である。

民族で思ひ出したが、若々しく現役第一線のラムザと、もう引退寸前の老体であるはずのオルランドゥが、全く同じ身体能力を持つといふのも解せない話である。さういへば、鳥山 明の「ドラゴンボール」にてベジータがわれわれサイヤ人は戦闘民族だ。戦うために若い期間が長いんだなどと言ってゐる。さうかッ!! イヴァリース人は実は戦闘民族だったのかッ!! 道理でやたらめっぽう強いわけである。レベルアップすると際限なく強くなるのも当然である。その割になんで幅跳びの記録があんなに悪いのかは謎のままなんだが……。

(※:立ちの場合助走をつけることは出来ないが、それでも重力の関係や反動をつけられる分、幅跳びの方が有利なはずである。実際久樹が自分で測ったところ、幅跳びの方が数十センチ長かった)


ともあれ、天照白書はいつまでもイヴァリースの真実を追ひ求め続けます。

印刷の不具合

Operaが印刷する時、背景適用メディアを「screen」にしてくれるといふとんでもない不具合があるのは有名(9.xで修正)だと思ふのだが、実は文字サイズを絶対指定すると完全に無視してくれるみたい(文字サイズ100%で印刷)。今日印刷してゐて気づいたこと。

ちなみにFirefoxは文字サイズはおろか、@pageへのmarginプロパティやあらゆる要素へのpage-break-insideプロパティまで完全に無視してくれる。それはちょっとどうよ。Ff制作者は印刷を利用しないのだらうか。

無題

「他人」に厳しい人々橋下徹さんの怒りが導くもの

人間かうはなりたくないものです。

人の不幸を祈るようにだけは、なりたくないと願ってきたが

無題

Final Fantasy Tactics Web Ringへ申告してからもうすっかり忘れてゐたが、なんか昨日本登録されたらしい。なんとも奇遇な。

無題

仕様を分ってゐて違反するといふのは、そのツケを払ふ覚悟がもとより出来てゐるお方がたでせうから、まあ、こちらとしては「なんかあったら文句言ふから」としか思ひませんね。大体、そもそも仕様を分ってない輩の方が遙かに多いのですから、「それに比べりゃマシかもね」です。

最終幻想戦術閉鎖

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最終幻想戦術は閉鎖しました。どうやら毎秋恒例のさらわれ隊も廃止の模様。

久樹もかれこれ1年以上リンク集を管理してゐる身でありますから、たいがいのサイトの閉鎖では驚かないのですが……さうですか、あそこもついに閉鎖しましたか。

パンプキンヘッドなどの例外はあるし、当時のプレイヤーが社会人になってネットに関わる時間が減少したといふ要因はあっても、FFT-AやFF12の発賣が、「もう一度FFTをやらうかな」という起爆剤にならなかったことがこのところの傾向に現れてゐるのでせう。

Sence of Justiceが閉鎖したときも驚いたものですが、データ方面の総合化(R.I.P.FFTやCarbuncle.jp等)も進んできてゐるし、FFTもそろそろ「レトロゲーム」のカテゴリへ移行する時期にさしかかってゐるのだと改めて思はせられます。


まあとは言っても、天照白書はこれからも畏国魂を燃やし續ける所存でございますので、読者様方は期待しすぎないやうに見守り下さい。

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いつもお世話になっております。

FFTもそろそろ「レトロゲーム」のカテゴリへ移行する時期

前、中古ゲーム屋のチラシみてたらレトロゲームという見出しのコーナーにFFTが載ってましたよ。なんか複雑ですねえ。

FF12とFFTへの相乗効果ですが現われるとしたらもう少し先になるでしょう。まだ発売から二ヵ月ですし。私もまだクリアしてなかったりします。(後略)

なるほど、FF12効果はもう少し先の話ですか。ともあれ、活性のきっかけになると良いのですが。やはりレトロゲームの域になると「ネタ切れ」みたいな雰囲気が出てきてしまひますからねぇ。ここいらで面白いネタを供給出来たらよいのですが。

FFT+A Capture3では天照白書も幾つかの腹案を持ってゐます。折角Web Ringにも登録されたことだし、大きい企画をやりたいですなあ。

命名の重み

命名とはその対象の根本であり、本質であり、始原です。

ゆゑに命名者が、その命名に対してあらゆる責任を取るのは、至極当然の話だと思ふのです。

翻せば、命名にはそれだけの重みがある。久樹は命名のセンスが絶無なためか、いつも非常に苦労してゐる。何度名前を変へたいと思ったことか。そして実際に変へたときのなんと後味の悪いことか。

素晴らしいネーミングセンスが欲しい今日この頃です。

無題

「赤肩」ですが、言葉 言葉 言葉の50万ヒット、おめでたうございます。


颱風一号、やうやく登場かと思ひきや、初登場でいきなり日本初上陸を果たすつもりなのだらうか?

アドレスの登録変更が面倒なのです

既に今更な話題だが、ソフトバンク、ボーダフォン日本法人1.7-2兆円で全株取得への話。

高い高いと言はれ續けるdocomoユーザの私に言はせれば、名前が変らうが買収されやうが別にどうでも良いのであるが、取り敢ず、メールアドレスのドメインが変ることだけは勘弁して欲しい。

ボーダフォンはドメイン名維持を表明してゐるが、何せこの会社は既にJ-PHON時代に前歴があるのだから信用出来ない。といふか、ボーダフォンもソフトバンクも両方、私は信用してゐない。利用者が自らを裏切った提供者を信用しないのは当たり前の話である。

waqwaqを讀んだ

どうも最近明らかに文章が詰まらないのであるが、じゃあ実際詰まってゐた時期があったのかといへば、それはそれで謎であるので、取り敢ず考へないことにする。閑話休題。

藤崎 竜作のwaqwaq(正確にはaにはローマ字式の長音が入る。で、讀み方は「ワークワーク」)を讀んだ。といふか、別件で三ノ宮をふらついてゐたところ偶然見かけ、その表紙のぶっ飛びぶりに「流石はフジリューだなあ」などと思ひつつ買ってしまったのである。久樹が全く予備知識なしで漫画を買ふなど久方ぶりだ。といふわけで、以下はネタバレ感想文である。いや、正確にバラしてゐないと思ふのだが。


讀み終はった感想を一言で言へば、それは楽しかったに尽きると思ふ。

元々藤崎の独特の感覚(定めの重さと人の軽さ)は好きだったし、前回のサクラテツ対話篇とは違った意味で――昔短編集で言ってゐた藤崎はいつだって違ふ事をやってるつもりなのですよといふ自負は今も生きてゐると思ふ――ぶっ飛んだ世界観である。フジリューが全般的に好きなら讀んで損はあるまい。

興味深かったのは、世界観、あるいは一話一話が非常にぶっ飛んでゐる割には、ストーリーの流れそのものは非常に正当かつ王道を行ってゐるといふ点だらう。例の友情・努力・正義三本柱もしっかり踏襲してゐるし、後半のハイパワー同士の殴り合ひや、ヒロインの献身によってヒーローが復活するといふくだりも少年漫画の華である。尤も、ゾロアスター教といふ「究極の予定調和物語」を元ネタにしてゐるのだから、予定調和であること自体が予定調和とも言へる。この辺りは今のところ上手く文章に落とせないので、まあ機会があれば別に書く。

ただ、waqwaqは楽しめる作品に仕上がってゐるが、それでゐて面白い作品であるか、と考へれば、これは大いに疑問である。

楽しめるとは感性の問題であり、面白いとは傾向の問題だと私は今考へてゐる。waqwaqが万人受けせず、逆に一部の層(まあ、あまり久樹とは縁のない層も含まれてゐるみたいだが)では絶大な支持を受けるのは無理もない。何分、あのシュールさはジャンプの常軌を遙かに逸してゐる。これからも楽しい漫画を書いてくれるだらうし、私も期待してゐるが、さりとてかの封神演技のやうな面白い漫画が出てくるかどうかは、さあどうかなといったところだらう。

結論:私は好きです藤崎 竜。


余談だが、藤崎はストーリーを上手に足したり引いたり出来る稀有な作家だと思ってゐる。封神演技はひたすら足していった(仙界対戦しかり、太上老君しかり、歴史の道標しかり)漫画であるし、waqwaqはひたすら引いていった漫画であらう。それでも物語が破綻せず綺麗にまとまってゐるのは、数多の不完全燃焼作品を生み出し續けたジャンプの中で奇蹟に近いと思はれる。まあ、讀者受けしない作者であるので、和月 伸宏(るろ剣・武装錬金の作者)と同じく活動の場をもっと広げたら良いなあと思ふ。

嗜好の話

往々にして、自分の嗜好を相手に理解して貰ふ事は不可能に近い。嗜好とは趣味であり、ファン心であり、行動意欲である。

「何でそれが好きなの?」「何が面白いの?」「何でそこまでするの?」と言った問ひかけは、率直に言へば意味をなしてゐない。「俺は○○が好きだ」といふ話も、「俺は○○は嫌ひだ」といふ話も、ヴェクトルが違ふだけで本質は同じである。即ち、「理解不能な感情」

そしてエンターテイメントに類するものは特にこの理解不能な感情で成り立つ傾向が強いため、結局「多数決」以外に何らもっともらしい道筋がない。(勿論、所謂「芸術」と呼べる領域にまで昇華されればまた別の話なのであらうが)オリンピック、あるいはプロ野球、あるいはスキャンダル、事故、天災などによっていつも真っ先にアニメの番組編成が崩されてしまふのは、所詮アニメはどこまでいっても「少数派の嗜好」として扱はれてゐるからに他ならないからだらう。

……ええと、別に喧嘩を賣ってゐるのではなくてですね、要は、「自分の嗜好へ寛容になって貰ひたいなら、相手の嗜好へも寛容になりませうよ。」といふ話。といふか、マイノリティをひた走る自分への戒め。巨人戦の莫迦野郎(古い話)

獅子戦争終結後のオーランの行動

たまにはFFTの話をする。エンディングのネタバレ注意(かういふ考慮が面倒だから、あまり雑念雑記では取り扱ってゐないのだけど…) ちなみに、FFTを知らない人(あるいは「高速フーリエ変換」のことだと思ってゐる人)向けに断わっておきますがネタ文章です


さて、FFTの例のエンディング。オヴェリア妃がディリータ王をブッ刺すといふ衝撃的なシーンであるが、考へてみれば、何故オヴェリアはディリータを刺す必要があったのだらうか?

…そうやって、みんなを利用して!…ラムザのように、いつか私も見殺しにするのね……!といふ話からも分る通り、オヴェリアはディリータに裏切られ、利用されてゐると感じてゐるやうだが、どうなのだらう?

結局、ディリータの言ふ通り、オヴェリアは女王になってゐる。オヴェリアの国といふ言葉は、一応、実現されてゐる事になる。勿論、ディリータも畏国王の座を手にしてをり、実質的にはディリータが国土を掌握したことになるのだらうが、別段、言ってゐる事に矛盾はない、と思はれる。

要は、自分も政争の道具に過ぎないといふ危機感からあの行動に出たやうだが、その一番のきっかけはどうもラムザらの死にあるらしい。

……が、ちょっと待って欲しい。確かにこのシーンだけを取ってみれば、オヴェリアの行動に矛盾はないと思われるのだが、そのつい前のシーンで、オーランは少なくともラムザとアルマが健在であることを確認してゐる。時系列やオーランの言動からみても、多分このシーンの方が先に起こってゐる筈である。ならば、何故オーランはラムザらの生存をオヴェリアに報告しなかったのか

オーランの性格を考へれば、ラムザら生存を知れば真っ先にオヴェリアに報告するはずである(彼の義父の時もさうだった)。だが、ラムザが生きてゐる事を知ってゐれば、オヴェリアが見殺しといふ表現をするのは考へにくい。ひょっとすると、その時オーランは既にディリータの側から離れてゐたのだらうか。そしてそれが、後のオーランの処刑を追認してしまふ一因となってしまふのだらうか?(歴史的流れからみて王権は相当拡大してゐる筈なのに) あるいは、それ以外の要因(ラストバトルが繰り広げられてゐる時に、別の事件があったとか)から、オヴェリアは深い絶望の底にたたき落とされてしまったのだらうか? 謎は深まるばかりである。

シーンそのものの衝撃にばかり目を奪われてしまひがちだが、既に発売から9年、今こそ冷静な目でもって、イヴァリースの歴史を検証すべき時なのかも知れない。

より良いリンク集に向けて

高天原のリンク集である月夜同舟は作成当初からこれらの点を踏まへて構成してゐる。

まづ、原則的に全てテキストリンクである。バナーは基本的に不要情報であり、管理・利用の両面から見て利点が少ないため、例へバナー使用強制であってもテキストリンクを用ゐるやうにしてゐる(もっとも、CGサイトではバナーが完全に不要情報とも言ひ切れない事実はあるが、少なくとも今のところ管理の都合上採用の予定はない)

次に紹介文は、そのサイトの性質が既に明らかである場合を除いて原則附記してゐる。加へて、紹介文は極力そのサイト上の文章を引用するやうにしてゐる。そのサイトの性質を一番理解してゐるのはそのサイトの制作者に他ならないからである。18禁の注意書きは常識。

サイト名については極力コピーペーストを利用するゐるやうにしてゐるのだが、サイト名が画像だったりタイトルが腐ってたりで、どうしても手動で書かなければならない場合もあったりする。で、それで間違へたケースもいくつか……。

最後にリンク数であるが、これはリンクの並べ方や表示を改善することによって克服を目指してゐる。と、いふのも、既に知れ渡ってゐるやうな厳選サイトは、大抵他の大御所サイト、あるいは検索サイトから既に発見されてゐるケースが多々あり、個人のリンク集は、どちらかといへば「一芸に秀でる」(或る部分が非常に優秀な)サイトを多く捕捉することに價値があると考へてゐるからである。

そのため、リンクの順序に「優先度」を設けたり(有用なサイトほど上部に表示される仕様になってゐる)、特選サイトにはクラス属性でその旨を明示したり(CSS LV2を全うに準拠してゐる視覚UAであれば、★マークが表示される筈である)、さらには更新日時をローカル取得して表示するなんてことも試みてゐる(ちなみに、この取得の際にNOT FOUND等の確認も行はれる。但し引っ越しには今のところ対応できてゐない)

とまあ、所詮個人のブックマークにここまでする必要があるのかといふ点においては個々の思想に任せることにして、取り敢ず久樹はこのやうにしてゐるといふ話をついでといふことで。大仰な装備の割にはリンク数が圧倒的に少ないので、今後もさらに拡大していくつもりではある。ただ、データを追加するのが面倒(元ファイルは実はCSVだったりする)なので、何れはもう少し改良してもっと手軽に追加できるやうにはしたいと思ふ。何分、高天原内の記事の修正や新しく書きたい話など、やる気の割には書きたいことは山ほどある謎状態なので、漸次やりたいやうにやっていきたい次第である。

結局續いたものは

高天原発足以来、紆余曲折を経て来た(公開当初からあったコンテンツはこの雑念雑記の前身に当たる「衝動的に言いたいことを書きなぐるコーナー」より。今にして思へばかなり恥づかしい名称だ。まあ、昔の高天原なんてことごとく目も当てられない有様なのだが)この雑念雑記も、正直言ってかなりの「朝令暮改」具合である。メモ扱ひとは言へ、ここまで試行錯誤を繰り返す(悪く言へば弄くりまくる)コンテンツも珍しいのではないだらうか。

結局今の形式はその試行錯誤の末の「原点回帰」であって、多分今後も余程のことがない限りはこの形式が續くだらうと思ってゐる。


それはともかくとして、もし準備や気力等が整へば、一度実験的にブログツールを使ってみたいと最近考へてゐる。無論雑念雑記にでも、ましてや高天原にでもなく、全く別コンテンツとして、である。

今まで「ブログの利便性は、実際使ってみたらまた別の発見があるものだらうか?」的な思ひはあったものの、肝腎のブログにすべき題材(記録と寸評をコンスタントに續けていけるもの)がなかったのだが、「Wikipediaの記事」といふテーマでWikipediaのあり方の考察や、雑学的な備忘録なんてどうだらうか、と。

取り敢ず、優先順位は低い上に基本的にレンタルの類は使ひたくないので、いつ実現するかは不明です。予告先発といふよりは単なる覚書。

無題

誰も反応してゐないやうなので、敢へてここで書く。

正直面白かった。

久樹がOperaを使ふ10の理由

俺等がOperaを使う10の理由

マウスジェスチャーを標準装備してゐる
ユーザスタイルシートを標準装備してゐる
検索窓を標準装備してゐる
タブ機能を標準装備してゐる
これらの機能はもはや久樹にとってWebブラウジングに不可欠の存在であり、他のブラウザのやうに一々導入の手続きを経るのは非常に面倒である。
タブ保持機能を採用してゐる
タブブラウザだからといって、それだけで良いといふわけではない。Opera最高の機能の一つがタブ保持機能である。これによりホームページの存在は久樹の中で極めて薄くなった。久樹は10ページ以上が常に「開きっぱなし」である。Windowsの休止状態と組み合はせればさらに便利。
カスタマイズが単独で可能である
一々新規に機能をダウンロードし導入するよりも、最初から揃へられた豊富な機能から取捨選択していくOpera式の方が面倒でない。また、初見で利便性を判断できない機能の試行も簡単かつ低リスクで行へる。
各技術仕様に対してそこそこ真面目に対応してゐる
厳密ではないが、技術仕様に対して比較的良心的に対応してゐると思ふ。たまに泣かされるけど。
縮小・拡大機能がある
この機能は地味に便利だと思ふ。特に豆字サイトを閲覧するときは、下手にユーザスタイルを適応してしまふとテーブル地獄で返って読み辛くなる場合があるので、非常にありがたい。
タスク収納機能がある
特にCtrl+Hによって一瞬で行へるのが素晴らしい。別にいかがはしいページを見てゐるわけではないが、いつでもすっと収納できる(しかも最小化と違ってかなりバレにくい)のは何となく精神衛生上安心である。
開発元が面白い
つまらない会社よりも面白い会社の方が使ってゐて気持ちがよいのは事実である。リリースが多いのも期待が持てる(で、たまにガックリくる)

当たり前の話ですが、これはあくまで久樹にとってのOperaを好く理由であって、万人がこれと同じ感想を持つことを期待してゐません。ただ、それだけOperaが久樹の感性にあったブラウザだといふことは事実です。

雑念雑記の順序規則

前提として、雑念雑記はメモ書きです。基本的に雑念雑記の記事は高天原の正式な記事ではなく、全て仮記事の扱ひです。

雑念雑記は、正規の記事にする前にある程度反応を見ておきたい(誤解してゐる、指摘によって意見が変る可能性が相対的に高い)話題や、極めて時事的で急速に價値を失する虞のある話題や、あとは久樹の近況報告とか高天原の更新報告、さらには文字通りの「雑念」などを提供するコンテンツです。もちろん、発言に対する責任は正規の記事と同様に考へてゐますので、正規の記事との違ひは、内容が大幅に変更される可能性が普通よりも高いかどうかに過ぎません(まあしかし、一部の記事は大幅な変更を検討中ですが)

それゆゑに、雑念雑記は「常に最新記事を参照する」ことを最重要視してをり、記事の表示順序による読み返しやすさは考へてをりません。また逆に言へば、時系列が古くなればなるほど、当雑記の記事は有効性を失ってゐることになります。だから、最新記事から順に表示していく構成を取ってゐるのです。

尤も、この考へ方で言へば、さっさと雑記から掘り返して清書すべき仮記事は山ほどあるのですが、如何せん久樹の文章力と言ふか構成力といふか詰めの甘さといふかによって、思ふやうには捗ってゐないのが実情であります。

無題メモ

交通法規

個人的には、原付の違反行為よりもタクシーの違反行為の方が余程目につく。原付の連中は「解ってない」人間が多いが、タクの連中は「解って」やってゐるケースが大半。なにせ、タクシー業を営むためには(法人・個人共に)第二種免許が必要であり、これは第一種と違って、さう簡単には取れないものである。さすがに「知らなかった」では通らないだらう。原付の歩道走行や逆走も往々に見かけるが、タクの信号無視、駐停車違反、安全運転義務違反(急な車寄せ、割り込み、進路変更など)もしょっちゅうである。

もちろん、悪質な客が違法行為を指示する場合もあるが、客が乗ってゐようがゐまいが、あまり運転には違ひが見られないやうな気もするのである。「あんたらプロやろ!」と、言ひたくもなる。ただ、良心的な人は上手な運転をするし、まあ色々ありがたいこともしてくれる。でも、それは原付だって同じ話である。

このことから分る通り、免許の取得難易度が即ち運転の丁寧さに結びつくとは考へにくい。違法行為が常態化してゐるのも問題といへば問題であるし、モラルの問題といへばそこまでだが、事故・違反を起こす人間は累犯傾向が強いといふ資料もある。要は、不適当な人間に対して免許を交付しすぎてゐる、といふのも原因の一つであらう。モラル云々より、適・不適の問題だと私は思ふ。

ちなみに、パトカーや白バイなんかも、注意深く観察するとちらほらと違反してゐることがある。よくあるのが一時不停止(一時停止義務の場所で完全に止まらず停止義務のある一線を超えること、特に歩道に入るときなど)や車線変更禁止違反・通行区分違反(まあ、違法駐車車両があるから仕方ないんだけど)など、向かう側も好んで取り締まってゐるものばかりなので、もしこれらで捕まって立腹してゐる方は、警察署の前や踏切などで定点録画して、告発してみては如何でせうか。

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