ふるへ ゆらゆらと

無題

私の知ってゐるサイトが、徳保さんのWebサイトアドバイスで紹介されてゐて、興味深く讀ませていただいてゐる。

例へば、もし(そんなことは万が一にもないとしても)私が同じ依頼を受けたとしたら、どんなアドバイスをしてゐただらうか。そして、それは徳保さんの視点とどう違ってゐただらうか。そんなことを考へてゐるのです。

徳保さんは、良くも悪くもああいふ見方をする人ですから、もちろん私とは違ふところもあるのだけれど、それでも、どんな話であれ(例へそれが人の癪に障っても)説得力のある書き方をする人ですから、多いに参考になるのは間違ひありません。といふより、自分がいつも説得力無さ過ぎですから、説得力の感じられる文章といふものに、酷く感嘆と憧れを抱くのであります。

それにしてもWorld Wide Webの世界は決して広くありませんね。

無題

なんかFFTのイベントに夢中で「もう忘れたか」と思はれてゐさうな雰囲気の漂ふHTMLとCSSの解説記事ですが、一応今も少しづつ加筆はしてゐます。単に、CSSは解説が非常にややこしい点をどう工夫すべきか、未だに試行錯誤してゐるところなのです。

無題

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よく分らないけど、世の中と言ふものは上手くいかないものだね。

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久樹はmixiで時々日記を書いてゐるが、別段嘘は書いてゐないし、書く気もない。といふよりも、そもそも嘘なんて現実世界で嫌になるほどついてゐるだから、わざわざWWW上にまで嘘をつく理由がわかない。嘘がいけないだとか、さういふ道徳の話以前に、その嘘をつく必要性はどこから出てくるのだらうか。

久樹にとっては、別に他所様の日記でも興味がなければそのままだし、興味があれば興味のあるままにコメントを入れてゐる。脊椎反射もままあるし、リプライがないこともざらだ。この辺りはそこらで公開されてゐる野良ブログと大した差はない。

では何が違ふのかといへば、それは想定する讀者を自分が規定出来る点に尽きるだらう。マイミクシィであれば、久樹の人となりを、少なくともWWWで明示してゐる分ぐらゐは知ってゐる(だらうと前提に出来る)から、炎上や晒しのリスクは極めて低い。何せいろんな事をゴタゴタしながら考へてゐると、どうしても炎上しても構はない(炎上するリスクを背負っても良い)記事と、炎上して欲しくない記事が出てきてしまふのだから、これらが使ひ分け出来るのは大変ありがたい。

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あるいは、私にとってmixiは交換日記みたいなものである。コミュニティとか色々あるけど、それは決して主ではなくて(だから、久樹はコミュでコメントすることは滅多にない)知り合いの人と、ちょっと普段のWeb上よりは踏み込んだ話が出来ると、さういふ程度の認識でしかない。そして、普通の交換日記であれば相手の日記が面白くなくてもコメントを入れるものなのであらうが、そこら辺は久樹の知り合ひ方は「解ってゐる」方々ばかりなので、久樹としては大変助かってゐる(コメントどころか、閲覧そのものさへ一方通行なのもあるし)

但しmixiの根本はムラ社会なので、安易な油断は厳禁。そこら辺がまた難しいところでもある。

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ぬるいが、ぬるくて良いときもあらう。但しそのままだと風邪をひいてしまふが。

失念してゐた

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Opera 9 で「さとみかん」がくそ重たい件についてを讀んで何故すぐ気づかなかったのだらう。わざわざOperaの不具合解消を待ったりする前に、最初からユーザスタイルを適用してゐれば何ら問題なく閲讀出来るではありませんか。自分の機智の無さにつくづく嫌気がさしてくる。

……のだけれど、本当に何の問題もないわけではなく、何故かマウスホイールを使ふと必ず下方向にのみ向かふといふ不思議なバグがでてゐる。こっちはCSSの問題ではなささうだけど、謎だ。

ちなみに、ユーザスタイルを適用させても重い場合は、一度ページをリロードすると良いみたい。

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メールにてJavaScriptをオフにすると解決するのでJavaScript関連のバグかと。といふご指摘を戴きました。そうだらうなあと私も思ってゐたところなのですが、いつの間にか症状が再現しなくなってしまひまして、ありみかさんが改善してくださったのか、今度のOpera君には不思議な小人さんが住みついてゐたのか解りませんが、まあ取り敢ず良かったといふことにしておきます。

どうもありがたうございました>いろんな人

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つーか、IDの附与規則を間違ってゐたことに今更気がついたorz 一部修正(当記事は既にリンクを確認してゐたので修正せず)

非常に今更の話なのですが

何気なくGoogleで検索してゐたら、日記みたいなもの@陽気なる逃亡者たるプログラマ「たいした指摘ではないんですけど」を発見。全然気づきませんでしたorz

と、いふわけで、問題の記述を修正。ありがたうございました。

無題

最近PCの調子がをかしい。

このやうな状態になった場合、一体どこを疑ふべきなのだらう。

真っ先に思ひつくのはマザーボードなのだけど、電源とかメモリとか、さういふ周辺機器が根っこの場合もあるから、PCといふものは油断できない。ネットで検索しても、類似の不具合は見あたらなかった(単純に検索しづらい類の情報であることも一因)

マザーボードの交換となると面倒だし、どうせならCPUとかも交換したくなってくるし、一度最少構成(電源・メモリ・CPU・M/B・FDDのみ)で試験してみれば良いのだらうれど、それもまた面倒。うーん…。

無題

「コミュニティ」といふ単語をスパムフィルタに使はうかと思ったのだけれど、「H」などと同じで、正規のメールさへ弾く公算が高いのでやめることにした。

といふか、正直今でも正規のメールがスパムフィルタで遮断されてゐないか不安なときがある。困ったものだね。

今の今まで全然気づかなかったわけだが

わが家に地下室を設置しようと工事していたところ、不気味なダンジョンにつながってしまった。旧世代のものだと思うのだが、怖いので調べてほしい。(コリンズ侯爵)

【仕事内容】不気味なダンジョンに挑め!

……これ、思ひっきり不思議のダンジョン2「風来のシレン」のフェイの最終問題ぢゃねーかw

他にも動く人形を開発していた「Dr.ゲ」とか出てくるしさ。探したらもっと色々出てくるかも知れない。

Opera9.0がでたわけだが

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某所で既に語り尽くされた感さへあるOpera9.0正規版。

設定の引き継ぎはますますスムーズになってゐて好感。……なのだが、如何せんスクリプトとの相性が極悪になってゐる。事前知識から多少は覚悟してゐたけど、さとみかんがここまで重くなるとは予想だにしなかった。

しばらくはさとみかん避難所のお世話になりさう。

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印刷用スタイルシートにおける不具合は大体解消されてゐて、現在、印刷といふ立場で考へたWin用ブラウザの標準準拠度はOperaが最高になったと思ふ。これで、安心してユーザスタイルシートに印刷用のスタイルを埋め込むことが出来るといふもの。

Fxは印刷に関してあまりお薦めできない。推奨余白が指定できなかったり、文字サイズの指定をあっさり無視してたり、余白にはみ出した文字列を綺麗さっぱりなかったことにしてくれる。

但し、Operaもtable要素群の印刷(特に途中改頁を禁止した場合)は上手に処理出来ない模様。変なところで切れたり、消滅したりする。印刷するやうなページは、表を使ってゐるケースが多いので、これはなんとかして欲しい。

あと、徳保さんのサイト(趣味のWebデザイン等)にスタイルシートが無事適用されるになった。また、Piroさんところで表示がをかしくなる不具合も解消された。さとみかんの新たな不具合(といふか、Operaのバグ)さへなんとかなってりゃ、諸手を挙げて歓迎してゐたのだけども…。

お祭りスタート

といふことで、さくっと一作書き上げてみた。伸縮自在! 距離単位「セクタ」の謎

無題

あーちゃん
なぁなぁ
ひーくん
ん?
あーちゃん
あんな、普通なんか必死に祈る時ったらさ、大抵神様とかさういふ人に対して祈るやんな?
ひーくん
まあ、一般的にはさうだらうけど。
あーちゃん
やろ。でな、今日お昼のTVで、全国アナウンサーの人が滝に打たれて日本蹴球団の必勝祈願をしてたんやけどな。
ひーくん
…確か前のオリンピックの時もやってゐたやうな気もするが……。といっても、別に祈ってるだけなのだから問題ないのでは?
あーちゃん
しやけど、必勝祈願をするのって、別に日本だけの習慣ぢゃないやん。
ひーくん
あー、確かに、「主よ我が国に栄光を、アーメン」とか「アッラーは偉大なり、勝利は我らにあり」とか言ってゐても不思議ではないね。
あーちゃん
てことはさ、サッカーサッカーゆーても、その実世界最強神通力決定戦みたいなもんなんやね。
ひーくん
ぶッ!
あーちゃん
さう考へたら、イエス・キリストって強いんやなァ
ひーくん
いや、あのですね。なんか感心するとこを根本的に間違ってゐる気がしてならないのでして云々。

メモといふか…

何故か途中からウイユヴェールの話に。

文章は面白くなければ讀まれんよ

deblog経由で東海新聞のコラムが面白いといふ話。

これを讀んでゐると、文章の面白さ――興味を引く力――といふものは、書き方の上手下手とはまた別の次元に存在してゐるやうな気がしてならない。いつも極論をいうので嫌われているが、嫌われついでに本日も書く。とか、中国に対して自分ならびた一文出すまいと断じたりとか、さらには社会保険庁の違法手續きを面倒な手続きが一切不要というのは本人にとって願ってもないことで、これは善政と呼べるものだが(中略)年金受給手続きなども本人の意思確認後、勝手に手続きしてくれれば本当のモデル官庁になるのだが…。と皮肉ったり、自分のことを素直にヘビースモーカーと断言したり等、とてもぢゃないが新聞のコラムとは思へない。嫌はれるのも解るが、私は素晴らしいと思ふ。

文学的なものを含めて「讀まれる文章」は、綺麗なだけでは詰まらない。楽しくて・面白くてなんぼの面がある。このコラムニストは、どこにでもゐさうな所謂「一言居士おぢさん」といふ感じだが、どこそこの匿名ブログではなく、れっきとした新聞の紙面上――文責が非常(ある意味過剰に)明確な場所――でこのやうな文章を、しかも毎日書くと言ふのは大変なことだらう。

いつも裏付けが甘かったり、八方美人的文章しか書けない久樹にとって、かういふ人には強い憧れを抱く。

無題

人間の社会とは不思議なもので、根本的な部分の殆どは、「誰かが間違ったことをする」といふ前提の下で出来てゐる。裁判所だって、警察だって、国会だって、あるいは財務監査だの警備会社だの国連だのといったものさへさうなのですから、これらが、「人類が存在し續けるコスト」の中でかなりの割合を占めてゐることは間違ひありません。

しかしながら、さうは言っても、いざ自分が全くどの法も犯さず、そして誰にも一切迷惑をかけずに生きてゐるかと考へれば、それこそ今すぐにでも舌をかみ切って死にたくなるのも事実です。

要はコストの問題でせう。万全を期すならば、可能な限り性悪説に則った機構を打ち立ててれば良いのでせうが、それでは「A社の会計は信用出来ないからB社に監査を依頼して、B社も信用出来ないからC社に監査を依頼して……」のやうな無限のコストが生じます。社会が成り立ちません。

セキュリティの問題や、あるいは人間関係と言ったものと同じで、やはりどこかで人は人を信用せざるを得ないわけです。不信で社会は組み立てられない。だからこそ、不信を暴くために、信用を築くために、膨大なコストを投じてゐるわけです。身も蓋もない話ですが、自分だって過ちを犯す可能性を否定出来ない以上、誰かが過ちを犯す可能性もまた、否定出来ないのであります。

ただ忘れてはならないのが、信用関係と言ふものは、常に変化していくものだといふことです。未来永劫の信用に足るものなど、どこにも存在しません。それを知りさへしてゐれば、絶望することなく、誰かの裏切りを許す――といふより「諦める」ことが出来ると思ふわけです。

間違ってゐるかも知れませんが。

久しぶりの新スタイル

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久しぶりといふ程の事でもありませんが、CSSに手を加へてみた。雑念雑記用のスタイルです。

雑念雑記が他の記事と事なる点は、使用する要素が非常に限定されてゐる点です。そのため、殆どの要素に対してスタイルを定義しないことにしました。面倒だったからといふのも否定はしませんが。

ただ、あまり好きになれないスタイルですので、場合によってはさらに若干の修正を加へるかも知れません。気が向けば。

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で、若干の修正を加へたのだけれど、なんか、ちょっと良い感じになってきたかも知れない。さういへば、今までうちにはモノトーンなスタイルってなかったんだよね。まあ、「良い感じです」と久しぶりに褒められたってこともあるのだけれどさ。

雑記専用スタイルといふのも勿体ないので、一スタイルとして独立させることにしよう。

無題

Googleにて「FFT」と検索すると、我らが道化師さんのR.I.P.−Gs' Cemetery−が一番に来る(検索言語が日本語である場合)

今まで「FFT」でぐぐれば、ほぼ間違ひなくFast Fourier Transform(高速フーリエ変換)についてのページが表示されてゐたものだが、つくづくファン心といふのは偉大である。

ところでそれは良いのだけれど、FFTで検索をかけたときは何も表示されないのに、何故「FFT FFTA」で検索をかけると、もしかして: FFTA FFTAと表示されるのだらう。相も変わらず、Googleは不思議に満ちてゐるなあ。

幸福な議論の話

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最近議論について思ふところがあり、色々考へてゐるところであります。と、言ひますのも、久樹がこのところ「ぶった斬り合って、まあこんなところでせう」的な空気にすっかり馴染んでしまひ、所謂「ムラ社会」的な方法論を顧みず、無闇に持論を展開させて、本来必要ではなかったいざこざを引き起こしてしまふといふ事件があったからです。

議論など全く不要である、と私は思はないし、今でも有用になり得ると信じてゐる。ただ、それには幾つかの条件があり、それを知らずに徒に議論をふっかけると、互いに不幸になるだけだといふことを知ったわけです。知り合ひと喧嘩(あくまで「喧嘩」です)するのは非常に辛かったですが、それも含めて「経験」といふものでせう。

さういふわけで、徳保さんの敗者を生まない「幸福な議論」の3条件より、自分の今思ってゐるところを若干書き足さうかと思ひます。

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敗者、即ち意見が不本意に握りつぶされてしまふ事例を出さない議論とはなにか、といふ題に対して、徳保さんは、

  1. 結論があること
  2. 結論が必要とされていること
  3. 納得による結論導出プロセスが可能であること

といふ三原則を唱へられてゐる。

これは全くその通りだと思ふ。ただ、特に三番目に対しては、その議論の目的に応じて以下の三つの形態があると久樹は考へてゐます。

  1. 同一又は類似の主張を持つ者が、その背景を交換し合うことで主張の根拠を強化する事を目的としたもの
  2. 相違の主張を持つ者が、その背景を交換し合うことでより良い折衷案を導き出す事を目的としたもの
  3. 対立する主張を持つ者が、各々の正当性を主張しあう事で自らの案を認めさせる事を目的としたもの

一般に一番目の議論は、意見交換と言はれるものです。二番目と三番目の議論はしばしば混用されがちですが、前提として相手の意見を認める余地があるかどうかに大きな違ひがあります。徳保さんの記事で取り扱ってゐたのは、主に三番目の議論です。

一番目の議論は、最初から結論は出てゐるため、既に三条全てが満たされてゐる事になります。だから、この手の議論で論争に発達することはまづありません。極めて有益で、害のない議論であるといへます。但し、反対意見を意図的に排斥してゐる場合は別ですし、もちろん世の中いつもこう上手くいくわけでもない。多様な價値観がある以上、ある程度の対立はどうしても避けられません。

ただ二番目の議論では、少なくとも二条目、大抵の場合では一条目の条件を満たしてゐる場合が多く、一般的には「話し合ひ」と位置づけられてゐます。話し合ひにおいては、「小田原評定」にさへ気をつければ、さほど問題になる事は少ないでせう。

一方三番目の議論は、論争になり易く、また泥沼化し易い、悪い議論の温床となりがちなため注意が必要です。といふのも、そもそも相手の正当性を真っ向から否定してゐる上に、大体の場合においてその理由や立場を明確にしない(あるいは暗示してゐる)ケースが多すぎるからです。Webは脊椎反射で構成されてゐる世界(と私はつくづく思ひます)ですからこの手の議論は極力避けた方が良い。あるいは、自分の主張を明確にし、相手の主張はその踏み台にする程度で十分であるのです。

もっと端的に言へば、双方の主張が決定的に対立した段階で、実は「自分の意見が正しい根拠」と「相手の意見が間違ってゐる根拠」の二つが形成されてゐます。この二つは本来分離して考へるべきですが、故意か過失か、両者を混同してゐる人が大半です。それが論点のすれ違ひの温床となり、しかしこれを相手に改めて貰ふのは難しいですから、「不毛な議論」となるのです。

泥沼化した議論は、三原則の三条目が崩れ、もはや急速に價値を失します。それならやらない方が良い。早々に切り上げてまとめ――根拠はこのやうにあったけど、結局溝は埋まりませんでしたといふもの――にかかる。結論が出ないことが分ってゐる議論を、續ける意味はないでせう。

そこにつけて、久樹が何を勘違ひしたのかといへば、久樹は一番目だと思ってゐた議論が、実は三番目の議論になってをり、しかも三原則の二条目が存在しなかったことさへ気づかず、結果無意味な議論で話し合ひの場を掻き乱してしまったわけです。ムラ社会のコミュニティは、議論によって容易に崩壊する虞があります。それでは本末転倒ですし、もしさうなってしまへば親の敵のやうに発端人は攻撃されることでせう。

それなりの実績と土壌がない限り、安易にコミュニティ内で議論をふっかけることは、他人はおろか自分をも危険にさらす無謀な行為だと心得るべきです。今年の第一四半期一番の反省材料でした。

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今のところ、久樹は次のやうな指針を持ってこれからの議論に望まうと考へてゐます。これは今まで実践してきたものもあり、これから心得ていくものもあります。

  1. 論ずる前に、その目的に照らし合わせ、それを果たす手段として議論が妥当であるか確認する事
  2. 自らの立場、主張、結論を明確にし、相手の立場、主張、結論との相違を明確にする事
  3. 自らの経験量と相手の経験量を常に考慮する事(経験は強い論理になり得る。経験量が絶対的に不足してゐる場合は、特に注意する)
  4. 論ずる根拠を明示する事
  5. 常に相手に対する敬意を忘れず、和を持って尊しとなす事
  6. 最終同意へのプロセスが崩れた場合は、一旦議論をまとめて切り上げる事
  7. 最終同意が得られた場合は、再び一から論点を整理し、結論をまとめ上げる事

以上、酷く漠然としてゐた思ひを乱暴に文章化。

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と、思ったら、野嵜さんがちょうど良いリソースを提示なされてゐました(時系列的にこちらが後なのです。妙な偶然ですなあ)。議論のしかた

HTMLの視覚化

朝顔日記経由で、HTMLを視覚化するスクリプトといふのを知り、面白さうなので色々実験してみた。

一つ目は、うちで最も平均的なマーク付けをされてゐると思はれる案内所のもの。二つ目三つ目は、そこそこの記事量がある雑念雑記2006年3月(セクション化)と4月(非セクション化)による結果です。

案内書
高天原総合案内書のHTMLを視覚化した図
実際の様子
雑念雑記2006年4月
雑念雑記2006年4月分のHTMLを視覚化した図
実際の様子
雑念雑記2006年3月
雑念雑記2006年3月分のHTMLを視覚化した図
実際の様子

それぞれの玉(?)は以下のように対応してゐるさうです。

黒色
html要素
緑色
div要素
橙色
br要素、p要素、blockquote要素
青色
a要素
紫色
img要素
灰色
その他の要素

パッと見ても分る通り、section要素(現状正確にはdiv要素だが)を用いなかった場合、殆どのブロック要素がbody要素に集中――つまり、ブロック要素はみんな「平坦」になってをり、一方、section要素を用いた文書の場合、section要素を格子として要素が方々へ分配されてゐることが分ります。

実際にこのファイルをXSLTだのDOMなどで処理しようと考へたときには、後者の方が断然アクセス性に優れてゐるのは間違ひありません。XMLアプリケーション(あるいはスクリプトなど)によるファイルの利用を考へた場合、section要素による構造化は非常に重要な意味を持ってゐる事をハッキリと示した例と言へるでせう。

勿論、XML的処理を予定してゐないファイルに関しては、これらの構造化によるメリットはあまりありませんけどね。

無題

さういへば、闇黒日記の「みのむしさん」を見てゐると、何やらこの暑さが和らぐと言ふかあの寒さを懐かしむと言ふか、とにかくそんな気分にさせてくれるのである。云々。

夢クレ再放送

久樹の祈りが通じたのか、夢のクレヨン王国が6月から再放送されることになった。心境はまさにキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!!!!

それにしても、最初のシルバー王女の声はアレですね。あの、赤ずきんチャチャを観たときと同じやうな、うん、微妙な違和感。これがまた良かったりするんだよなあ(病)

DVD-BOXは持ってゐるけど、やっぱり「コピー可能なもの」が在った方が絶対に良いに決まってゐる。HOLiCも、まあ色々これから楽しみである。

キッズステーショングッジョブ


当雑記の讀者の中ではまづゐないだらうとは思ひますが、もし原作(児童文学)に興味を抱いた方は、「12ヶ月の旅」と「パトロール隊長」と「新12ヶ月の旅」は必ず讀んだ方が良いです。といふか、クレヨン王国の三大傑作と私は思ひます。およそ半月と数千円の投資程度の根拠ではありますがね(ああでも、DVD-BOXを入れたら万越えるのか)

無題

遂に動き出したやうなので紹介。FFTシリーズ10周年祭“きみはひとりじゃない!”

そーいへば、地下書庫のあれはどうすりゃ良いのかなあ。

ともあれ、天照白書は全力で“きみはひとりじゃない!”を応援いたします

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