それにしても、誤字脱字や勘違ひや回りくどい言ひ回しといふものは、何故何度讀み直しても根絶出来ないのだらうか…。
いつもご指摘くださって、本当にありがたうございます。
今の今まで全く気づかなかったのだが、旧CSS ReferenceにHTMLの解説が加はって「HTML覚書とCSS2リファレンス」になってゐる。すげー。
明日は職場の納涼祭であり、そのついでとして「家族に職場を見てもらふ」といふ企画があるのですが、それ用の電顕(電子顕微鏡)試料を作ってくれと今朝言はれまして、取り敢ず身近なもので「髪の毛」でも見て貰はうと言ふことになり、久樹の頭から十数本の毛が抜き取られました。……まあ、髪は一日100本抜けてゐるらしいので、構はないと言へば構はないのですが。
で、通常の髪とキューティクルをわざと壊した(髪を傷めさせた)髪を準備するため、1%塩酸で酸處理を行ったところ、全く壊れる気配がない。
1%程度の酸では駄目かと今度は35%の塩酸(もちろん、皮膚なら即座に冒される)を使ったのですが、これまたキューティクルは綺麗に整ってゐる。それならばと50%稀釈の過塩素酸を使ってもまるで効果なし。その後、別の試料を使ふことで決着して、結局久樹の十数本の髪の毛は何ら使命を果たせぬままごみ箱へと消えていったのです。
アレだ。酸性雨で髪が傷むとか言ったやつ出でこい。
それにしても、世の中には色々な脱色方法があるものだ。オキシドールならともかく、コカコーラや味噌って…。
んでも、脱色してもキューティクル自体は一発ではさうさう痛まないものらしい。髪は、私たちが考へてゐる以上に丈夫に作られてゐるといふことか。あるいは、日々の反復行為がこの丈夫な髪にダメージをあたへてゐるのだといふ警鐘と受け止めるか。
こんにちは
http://www.takamagahara.info/2006/0324のページの附記にある「持っと」は「持つと」ではないでしょうか? 的外れでしたら申し訳ありません。
また、簡易メール送信フォームのメッセージ入力欄にフォーカスするたびにエラーメッセージが出てきます。
行:46 エラー:オブジェクトを指定してください。と、書いてあります。是非改善して欲しいと思っています。
それでは。
ご指摘事項その一についてはすぐに修正いたしました(そのついでにとんでもない記述ミスを発見し、泡食ったのは内緒の話です)
さて、ご指摘事項その二についでですが、当方で色々やってみたのですが、どうしても症状が再現できませんでした。「たぶん、これが悪いんだらうな…?」と思はしき記述を削除いたしました。もし症状が改善されない場合は再度ご連絡を頂ければ幸ひです。
ご報告ありがたうございます。
なおった。なおった。よかったー。
今まで、アマテルの当て字に「天照」を当ててゐたのだけど、ふと、「天晴」とかの方が字の意味として適当だよなあといふ気になってきた。久樹 天晴。天晴白書。うーん。どうだらう。といふか、何はともあれ天照大明神と同じ文字と言ふのは余りにも畏れ多いんだよなあ。
まあ、基本的に「アマテル」が正式名称であることには変はりないのですが。ペンネーム辺りに良いかも。とか言ってみる。
……ただ、さうなると今度はアマテルではなくあっぱれと誤讀されさうな悪寒。
取り敢ず、元データはXHTML(XML)に戻して、更新情報の取得も止めやうかと思ってゐます。と言ひますか、精度が悪すぎて使ひものにならないといふのが実情だったりします。
今後は、リンク切れ及び移転発見の方に力を注ぐことにして、追加や管理等は従来のやり方に戻すつもりで考へてゐます。まあ、サイト運営の自動化による利点欠点を考へたり、単純なプログラミング能力の向上と言ふ点においては、良い経験にはなりました。
http://elastic965.80code.com/blog/2006/07/validity
假名遣の問題と語彙の問題とがごつちやにされてゐる俗論で何うしやうもないが、さう云ふどうしやうもない俗論こそ日本人が愛してやまないものだから、この俗論は多くの日本人にとつて「説得力を持つ」ものだらう。反論してもその「反論する」と云ふ行爲そのものが日本人にとつては反感を持つべき決定的な根據となるのだから、この手の「俗論」は言つたもの勝ちで、だから困つたものだと思ふのだが、言つてゐる當人は「俺は良い事を言つた!」と思つてゐるのだから仕方がない。
あのですね、「昔の言葉をそのまゝ使はう」とは誰も言つてゐないのであつて、正字正かな派はただ「過去から現在までの國語の變遷を大事にすべきだ」と主張してゐるに過ぎません。まあ、文語の苑とかの中の人は何うだか知らないけれども、少くとも俺はあゝ云ふ試みは迷惑だと思つてゐる。
国語審議会であれ誰であれ、過去との繋がりを持たない言葉遣ひや表記を「正しい日本語」として押附けてはならない、人爲的に「正しい日本語」を作つて押附けてはならない、と、さう正字正かな派は主張してゐます。そして、その「やつてはならない事」が戰後の國字改革では行はれた、「だから新字新かなを認める事は出來ない」と、さう云ふ事です。
「正しい日本語を決めるのは誰なのか?」――誰でもない、歴史です。歴史が基準です。だから「歴史的假名遣が正しい」と言つてゐる訣です。
要は、『当時あったもの』に対して規則性を見いだし、それに対して一定の正誤をつけるやうなやり方でなかったのが、国語改革最大の失策であったと私は思ふのであります。なんでまた、「昨日まで正だったものが明日から誤」みたいな脈絡もない大改革をやらうなんて思ったんでせうね。
お礼や謝罪の意味でハザードランプ(法的には「非常点滅表示灯」と言ひます)を数回焚く事の是非について。
現在、自動車を運転する上でハザードランプを焚く習慣(又は義務)のある行為は以下の通りです。
自動車(大型自動二輪車、普通自動二輪車及び小型特殊自動車を除く。)は、法第52条第1項前段の規定により、夜間、道路(歩道又は路側帯と車道の区別のある道路においては、車道)の幅員が5.5メートル以上の道路に停車し、又は駐車しているときは、車両の保安基準に関する規定により設けられる非常点滅表示灯又は尾灯をつけなければならない。(後略))
このうち、最後の使用例については、前の二つと混合して後方車が急停車する虞があるため、やめるべきと言ふ意見が出て、議論になってゐるやうです。
と言ひますか、常識的に考へて、一般道路を走ってゐる際に急ブレーキを踏まなければならないやうな事態に陥った場合、ハザードを焚いてゐる暇なんてないと思ふのですが。停車と言ふ意を込めてハザードを焚く時は、単に「今から停車するよ」といふ意思表示のみであって、別に急ブレーキを踏まなければならないと言ふ道理はありません。
従って、リンク先(の引用先)で紹介されてゐる事例は、被害者の判断ミスといふ事が出来るでせう(急ブレーキ禁止違反)。もちろん、加害者側も前方者が急停車しても安全に停車できるだけの車間距離を確保しなかったのですから、こちらも断罪を免れ得ません。
正確には、「ハザードランプは停車の意」といふ概念も、「ハザードランプは感謝の意」といふ概念も、どちらも公的なものではないのです。特に一般道において駐停車の際は、ハザードではなく左折の合図を出すべきと言はれてゐますが、実際これにも法的根拠はないわけです。といふより、停車の意思表示には既に制動灯(ブレーキランプ)があるため、それ以上余計な表現は定義されてゐないともいへます。
車両(自転車以外の軽車両を除く。第3項において同じ。)の運転者は、左折し、右折し、転回し、徐行し、停止し、後退し、又は同一方向に進行しながら進路を変えるときは、手、方向指示器又は灯火により合図をし、かつ、これらの行為が終わるまで当該合図を継続しなければならない。
2.前項の合図を行なう時期及び合図の方法について必要な事項は、政令で定める。
3.車両の運転者は、第1項に規定する行為を終わつたときは、当該合図をやめなければならないものとし、また、同項に規定する合図に係る行為をしないのにかかわらず、当該合図をしてはならない。
で、道路交通法施行令第21条(合図の時期及び方法)には、ハザードランプについての規定がありません。
ゆゑに、ハザードランプは駐停車してゐる時以外に焚いてはいけない・あるいはある場合には焚かなければならない、といふ決まりはどこにも存在しないのです(上記の理由より、合図不履行や合図制限違反は非常点滅表示灯には適用されません)。その上で、ハザードを「停車の意志」や「感謝の意」に用ゐるのはマナーや気持ち的な問題であり、それをする・しないは個々人の判断であり、現在「停車のためのハザード」は一般に固着し常識となり、そして「感謝の意思表示としてハザード」を用ゐる人も徐々に増え、だいたいの場合において通じるやうになってきてゐます。
こちらのページでは身振り手振りで感謝を意を表すべきとしてゐますが、相手に伝はりにくいのも事実。といふか、相手の反応を見てゐるうちに危険な状態になりさうな気がするのですが。云々。
マナーにしろ何にしろ、道路運行上の話題は定期的に仕入れておかないと、後々泣く羽目に陥ることがあります。
うちの親の世代には原付に二段階右折の規定はなく、それ自身たいした告知もなく施行されたさうです。「最近新しい標識が出来たみたいなんやけど、あれなに?」――そんなもんです。
心外無法−少林寺拳法ウェブサイト−。話の内容云々はともかくとして、ここまで徹底的にStrictな態度を貫こうとしてゐるサイトも珍しい。
Latest topics > 処理能力の高低、キャパシティの大小 - outsider reflex
ふと、気象精霊記の著者である清水 文化氏の知能指数の話を思ひ出した。
たとへCPUだけが突出してゐても、それに附随する機構の能力が劣ってゐればどうしようもないわけで、優秀かどうかの判断は、総合的なバランス(とりわけ安定性――期待されるレベルの結果を定常的にだせるか)こそが主であって、さういふことを考へれば、下手にCPUだけ強いと電気の無駄遣ひになりがちなんだよなといふ事を考へたりもする。CPUが頭の切れであれば、メモリはたぶん心の余裕なんだらうな、と。で、その心の余裕なんかを確保する(そして上手に利用する)賢いシステムってのは、詰まるところ経験で少しづつ構築していくもんぢゃないかな、と。
もちろん、最初から高性能なシステムを備へてゐる人間や並外れて懐の深い人間も少なからずゐるけど、さういふ人だって、適宜外の事情にあはせて更新して(つまり、経験を積んで)いかない限りは、そこらで流行ったウィルスだのワームだの自分の不手際だのにぶち壊されて再起不能にさせられてしまふのだから、こりゃ、少なくとも若いうちはどうにもならない話だよなあ、と思ったりもする。
いつも思ふことだけど、「尻込み」と「自重」の違ひって分かりにくいよね。だから、「それなら自分でするよ」って話になるんだらうけど。
久樹のボトルネックは、たぶん「電源」と「冷却ファン」と「HDDへのインタフェイス」だらうなあ、と最近とみに考へてゐる。
IQ(Intelligence Quotient:知能指数)はあくまでも現在年齢での平均的知力に際する指数であって、本来、年齢も考えずに「あなたのIQは××です」というのはあり得ない話。そこら辺の詳しいことは知能指数 - Wikipediaぐらゐを参照してください。
といっても、うちの父の故郷なのだから、私が「里帰り」といふのは変かもしれないけど云々。
来週月曜には帰ってきます。それまではテポドンが落ちてこようがこまいが無反応です。
帰って参りました。なかなか有意義だったので、そのうち感想等を書くかもしれません。書いても、公開しないかもしれませんが。
さういへば、PCをクリーンインストールし直してから、未だにFirefoxをインストールしてゐないことに気がついた。
以下例は全て「CSSを用ゐることで〜」に續くものとします。
個人的には出力(出力方法)が一番汎用的であり、CSSの用法の多様性に対応できてゐると思ひます。思ふだけ。
もちろん、全ての場合において同一の表現を使用しなければならないと言ふものでもないでせう。ただ、CSSとは何かを厳密に語るときには、CSSはディスプレイ上の出力だけではなく幅広い出力を制禦するものだといふことを、少し頭に入れておいた方が良いとは思ひます。
PCの日付が一日遅れてゐたのに、丸一週間全く気づかなかった。
久樹が現在設定してゐる方法のご紹介。この前とある事情で買ったATOKの最新版(2006)の話です。前のATOKでも一部出来た気はしますが、どこまで出来るかは分かりません。詳しくはヘルプに当たってください。
一部変な表現を修正。
思ったより反応が良かったので、ATOKで歴的仮名遣を快適にタイピングするための方法として正記事に昇格させました。かういふ驚きはいつも心地良いものです。
Webだけに非ず、だいたいの場合において、「互換性」と「画一性」は反比例の存在となってゐる。あるいは、それを両立しようと思へば「複雑化」は避けられない。そこを理解してゐないからこそ、1ミリもずれないレイアウト
などといふ発想が出てくるのである。そしてだからこそ、XHTMLはどんどん複雑化の一途を辿ってゐるのである。
何よりも不幸なことは、XHTMLに関してはまだ決定的な開発環境が生まれてゐないことで、そりゃ、完璧なXHTMLと完璧なCSSを予備智識なしで簡単に作成出来るやうになるのであれば、今のワープロソフトと同じく、どれだけ内部が複雑化しようとも一向に構はないのであらうが、それが出来ない現状で、これ以上の複雑化は、既存のHTMLのあり方をも、将来のXHTMLのあり方をも揺るがしかねない、非常に危険なことであると私は思ふのである。
一体、いつになればISO-HTMLのやうな(内容とか将来性かではなく、現実的な運用を考へて)まともな仕様が完成するのだらう。
高天原では一応は印刷用のCSSを定義してゐるが、実際あれが本当に印刷に適してゐるかと考へれば、私は否と考へてゐる。
といふより、CSSで印刷向けのなにかを定義するといふ発想自体に無理があるやうな気がしてならない。印刷のやうな固定的なものは、PDFのやうな固定させる何かで定義した方が、余程すっきりしてゐると思ふのである。
幸ひなことに、今は何らかのワードプロセッサさへ持ってゐれば、千幾らの投資で(あるいは、全く投資せずに)PDFを作成できるやうになってゐる。変な(X)HTML主義者はPDFを目の敵にしてゐるやうだが、私はもっとかういふ固定的な規格も広がって良いと思ってゐる。何が何でも互換性といふわけでもあるまい。変に画一性と妥協させる方が、余程無益なことではないだらうか。
と、例によって誰に対してでもなく独りごちてみる。
久樹は前々からmixiは隔離施設
だと思ってゐたのだけれど、どうも世の中にはさう思ってゐなかった人が多数ゐた模様。
ヒトこそこの世で最も摩訶不思議なイキモノ
どうも、借り物といふものは自分の思ひ通りにならなくていけない。といふわけで、自分で作って差し替へてみた。おそらく、機能的には大幅にレベルダウンしてゐることでせう。ま、おいおい良くしてゐきますよ。
それにしても、何かでperlをさはる度に、早くなでしこ構文でCGIが構築できる(そしてそれが一般的になる)日がこないものかと嘆息する次第です。
W3Cの仕様書の邦訳を印刷向けにPDFファイル化して公開しようと思ったのだけど、考へてみれば、邦訳版には二次著作権が生じてゐるのだから、それを勝手に公開しちゃまずいんぢゃないかといふことに気づいた。
天井と手すりに挟まれ小3男児重体(産経新聞)
実は久樹も、むかし弟(当時5歳ぐらゐ)を公園で見失った経験が、しかも二度もあって(二度目は警察沙汰にもなった)、一緒に来ていたといふ事故者の兄(こちらは11歳=小学五年生)の後悔を思ふと、ただただ無事を祈るばかりです。
ただ、それでもこれで業者や設置者の過失責任を問ふとなったら、それこそ冗談抜きでやるせないよなあ。兄が悪かった。この事実は揺るがしようはないのだけれど、せめて、取り返しのつくところで止まって欲しい。
半島騒動なんて今更な話で吹っ飛ばして良い事故ではないと思ふ。
今更北朝鮮がミサイルの一発や二発撃ったぐらゐで、なんで「想定外」なんて言葉が飛び出てくるのだらう。自分で自分の危機感が足りないことを曝露してゐるやうなものだと思ふのだけれども。
政府にしても、にっちもさっちも行かなくなっていた情勢を動かすには(好くも悪くも)ちょうど良かったのではないかなと、私は思ふのですが。
我が心の女神である中島 みゆき歌って、好い顔をされた覚えがありませんね。
一人で行くのもどうかと思ふので、独りこもる実験室で静かに歌ふワケです。……絵になりますねェ。
そろそろ来るかなーなどと思ってゐたら、ホントに打ちましたか。テポドン。
でも、これあくまでも日本領土内に落ちたといふ証拠がないといふことは、まだ宣戦布告ってのはできないわけだよなあ(そもそも、日本に開戦権はないのだけれど)
以前雑記にてPCの調子が悪いといふ話をしてゐましたが、せっかくボーナスも出たことなので、さくっと交換することにしました。
久樹のPCは4年前のモデルなのだけど、当時としてはかなり最先端のものを取り入れてをり、そりゃ、4年経たうが今でも互換性ぐらゐはあるだらうなどと考へてゐたのだけれど、なにぶんコンピュータ技術の進歩は早い。さくさく快調に動くアプリケーション方をみると、時代遅れとはいかないまでも、やはり最前線を張るにはしんどいレベルにまでは落ちてきていたんだなあとつくづく実感。まあ、さうはいっても、新CPUでシングルコアの2.3GHzなのだから、まだ最先端といふにはちょっと無理があるかもしれない。
ともあれ、新しく買ひ換へることを考へれば遙かに安く済み、初めてM/Bを交換したことでそこら辺の智識も強くなった。個人的にはかなり満足。
なんか、Webブラウジングもかなり快適になったなあ。今まで回線のせいかなとか思ってゐたけど、処理するPC側にも過負荷があったんだねえ(考へてみれば、キャッシュを讀み込むのに回線速度なんて関係ないぢゃないか)
とはいっても、去年の春頃から数へだしものだから、正確な値は誰にもわからないといふ話。まあ、久樹の記憶+予想でも+7000あるかないかぐらゐだと思はれる。
ちなみに、アクセスは所謂「ユニークアクセス」のみカウント。単純なリクエスト数でいけば、高天原(といふか雑念雑記)もちっとは有名になったのかなといふ錯覚を覚えられる。