どちらもいいとこ阿呆鳥

無題

1

颱風12号発生。既に中心気圧が920hPaに達してゐる。……これ、歴代でもかなり低い気圧ぢゃないのか?

今のところ日本に接近するかどうかは不透明だが(かなり遠い場所にあるので)、進路的に当分30度以上の高温水域を通過する見込みであるから、もしそのままの勢いで日本に接近ないし上陸となれば、かなりの(場合によっては壊滅的な)被害が出るかも知れない。

2

と思ったら、この颱風、実はハリケーンから颱風に移行した颱風らしい。つまり、颱風とハリケーンの基準の境界である東経180度線を越えて、はるばる北太平洋西側にまでやってきた、といふことらしい。また、この地域では、中心気圧では最低、最大風速では3番目に強いハリケーンだったさうだ。

参考:デジタル台風:2006年台風12号(イオケ|IOKE)

無題

1

雜感(ユーザスタイルシート3)

それにしても、何故この人は、ユーザスタイルシートを「常時使用する」か、あるいは「全く使用しないか」の択一で考へてゐるのだらう? 私にはそれが不思議でたまらない。ユーザスタイルシートだらうが何だらうが、結局「道具」なのであり、利点欠点があり、応じて適材適所に用ゐるべきものなのに、わざわざユーザスタイルシートを使用しないと宣言してまで選択肢を狭める必然性を、私は全く理解出来ない。

これがユーザスタイルシートでなくて「テキストブラウザ」の話であれば、まだ話は解るのだけれども。

2

どうも、久樹の讀み方が間違ってゐた模様。頑なに使はないなんて言つてゐないさうだ。

確かに、道具である以上どう使はうと「どうでも良い」話であることには間違ひない。最初から私は別に推奨も何もしてゐませんが、どうもさう受け取られた模様(だいたい、「使ふ利点が解らない」といふ人に対してメリットの提示以上のことに踏み込んだのがそもそもの間違ひだ。反省)

どうも、済みません。失礼いたしました。

無題

1

麻雀ルール全集「超ローカルルール」

年越し
年を越して最初の和了

思はず吹いた。この手の自由な発想は嫌ひぢゃない。

2

インターネット - Wikipedia

ネットワーク範囲の画像に再び吹いた。

どうも、この手の「大真面目な遊び心」が久樹の琴線に触れやすいらしい。

無題

雜感(ユーザスタイルシート)

ユーザスタイルは、別にうちのアレみたく1から10まで作り込む必要はないわけでして、たとへばp要素の大きさをmediumに固定するだとか、特定の広告を見えなくするだとか、さういふ部分的な利用法だって構はないわけです(全ての要素に対してスタイルを指定すべきなのは、制作者スタイルの場合です)

つまり、統一したスタイルで全ての文書を表示することだけがユーザスタイルシートの目的ではなく、製作者が指定する見榮へは尊重しつつ、不足する情報を得るやうな使ひ方も十分に可能です。


まあ、かくいふ私も常時ユーザスタイルシートを利用してゐるわけではありませんが。ことFFT方面のサイトでユーザスタイルシートなんて、使はうにも使へない罠……orz

無題覚書

zphoto: Flashベースのフォトアルバムを作るツール

今まで撮ってきた写真の一部を公開しやうと思ってゐるものの、あまりの面倒くささ(リサイズ、リネーム、ディレクトリ作成、相対リンク、紹介文等々…)に二の足を踏んでゐたところ、FLASHで綺麗に表示してくれるツールの存在を(随分前に)知る。丁度写真をアップロードしなきゃならない機会が来たので、足下に火をつけてやってしまはうと言ふ魂胆。

つーか、屋内のフラッシュ無しは手ぶれがきついなあ。

無題

やたら誤字やミスが多くて嫌気が差してきた今日この頃(などと言ひつつ修正)

無題

ジブリ:メモランダム

久樹の好きな「魔女宅急便」が抜けてゐる件。あれも確かヒットしたと記憶してゐるのだけれど。

無題

1

たとへば、二日更新しなければ、雑念雑記の平均閲讀者数(ユニークIPアドレス数)は30人ぐらゐとなる(普通に更新してゐるときは一日100人ぐらゐ、たぶん、さとみかん登録サイトの平均でいへば最下層に当たるだらう)

それに引き替へ、高天原トップページの平均閲讀者数(ユニークIPアドレス数)は、更新しようとしまいと常に40〜50人程度で推移してゐる。

これが所謂Web2.0(?)と所謂Web1.0(?)の違ひなんだらうか? よく分かりませんけど。

2

それにしても、ユニークIPアドレスでのアクセス数が50といふのは、果たして多いと言へるのだらうか、少ないと断ずるべきなのだらうか。個人的には、もっと有意義なものを出していかなければならないのだと思はれるのだけれども……。

無題

伝統に対して、「何故そんな伝統が今時あるのか」と考へる人間と「何故その伝統が今なほ續いてゐるのか」と考へる人間の差はあまりにも大きい。と思った今日この頃。

物事に全て「理由」が存在するのだとすれば、それまで續いてきたといふこと自体にそれなりの「理由」が存在することに、何故気づかないのだらう。でなければ、保守主義なんて立場は成り立たないはずなのに(まあ、久樹は厳密には保守主義に当たらないのだらうけど)

「その道に任せる」といふ選択肢が存在しない時代

1

asahi.com:中2が学校で自殺 「原因は生徒指導」両親、提訴へ

長崎市内の市立中学で04年3月、2年生の男子生徒が校舎から飛び降りて自殺する事件があり、生徒の両親が近く、市の管理責任を問い、9000万円余りの損害賠償を求める民事訴訟を起こす。両親は「原因は生徒指導では」と同市教委に訴えてきたが、納得のいく回答が得られていない。県内ではその後、中高生の自殺が多発。「教育が変わらなければ同じことが繰り返される」と決意した。

自殺したのは安達雄大君(当時14)。04年3月10日、校内でたばこを持っているのを担任の男性教諭に見つかり、生徒指導中に「トイレに行きたい」と教室を出て、校舎4階から飛び降りた。

市教委の調査で、雄大君は狭い掃除用具入れの中で担任に注意された後、真っ暗な多目的教室に連れて行かれたことが分かった。多目的教室に「オレにかかわるいろんな人 いままでありがとう」という遺書が残されていたが、密室で何があったかは不明だ。

両親は第三者機関による調査を求めたが、市教委は担任からの聞き取りなどをしただけで「指導と自殺の因果関係はない」と結論づけている。

母親の和美さん(44)は「自殺の原因は、思春期の子どもを追いつめるような指導ではないか。裁判は長期化も予想されるが、雄大が残した死の意味を生涯をかけて訴えなければ」と話している。

この記事を讀んで、下の記事の存在を思ひ出した。

天漢日乗: 「死産」を届け出たら「業務上過失致死」? 産科医をやめます

2ちゃんねるに書くようなことでは無いかもしれないが、匿名なので

昨日、死産に当たった。(福○県内ではないが)警察に届けるか迷ったが、一応、届けた。

結果は、「業務上過失致死の疑い」となった。正当な医療行為の上でのことと思ったので、「医療上の適応、根拠」を自分なりに説明した。

しかし、警察は「自分たちは、医学のことはわかりませんが。被害者と加害者があることだけは確かなので・・・」とのことだった。

20年以上、産婦人科医をやっていたが、これでやめる決断がついた。明日、辞表出します。

しばらくゆっり考えます。もしも逮捕されなかったとしても産婦人科はやめることになるでしょう。

日本の産科医療は、いや医療は、もうダメだと痛感した。

警察官の発砲は必要か - 若林計志の東京漂流記blog - 楽天広場ブログ(Blog)

横浜銀行で銀行強盗が発生した。警察が到着した時、犯人はナイフと爆発物らしきのを持って、警察に襲い掛かって来たという。そして、警察は警告をした後、発砲、結局犯人は無事逮捕された。

さて、これについてのテレ朝のコメンテーターのコメント

「本当に発砲する必要があったんでしょうかねえ。銀行内にいた人の安全確保への配慮が足りないのでは」

未だにこういうコメントしてるんだなあと、思わずあきれる。世界的に見たら、こういう犯人は速攻で射殺されても仕方ないのに、この程度で終わってるなら優秀だと思う。

ちょっと前のニュースで、暴走族の集会に警察が出動して、警察が襲い掛かられそうになった時に発砲したことがある。その時も、「本当にそんな必要あったんでしょうかねえ。」というのが、テレ朝系コメンテーターの回答であった。必要あったに決まっていると思うが。

しょうもないネズミ捕りなんかで、ノルマ達成のために奮闘している警察官は最低だけど、本来の業務で職務を遂行している警察官にはエールを送りたい。

そういえば、暴走車の追走中に逃走車にはねられて死亡する人が結構いるらしく、警察を訴訟するケースが結構多いとのこと。そういうのは、逃走者の家族に賠償を求めるのが筋じゃないかと思う。

それから、あまりに逃げられると、事故を恐れてパトカーは追走をやめることもあるそうだ。

しかし、そこはあきらめちゃダメ。法改正で、パトカーの前のほうから、探知機や、捕鯨用の銛(モリ)でも発射できるボンドカーみたいな装置を認可して欲しい。

2

素人が専門家に意見を挟む。恐ろしい事に、今や日本ではこれが「常識」とされてゐる。智は力であるべきなのに。

あるいは、「疑ふ」ことと「文句を言ふ」といふことの区別が出来てゐない人間が、あまりにも多すぎるのかも知れない。確かに「疑ふ」事は人生を歩む上で必須の技術であらう。しかし、だからといって「文句を言ふ」事までもが正当化されることは決してない。あってはならない。

もちろん、純粋に「疑ひを晴らすため」に行動に出るのであれば、それはそれで認められるべきなのだらうが……。

何か寂しい。

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メアリー・マローン事件

これもまた、素人判断が悲劇を増長した事件と言って良いだらう。

かなり難しい(らしい)クイズをやってみた

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妖精現実にてかなり難しいクイズと表した問題を解いてみることにいたします。

摂氏0度→100度は、華氏32度→212度に相当し、両者は単純な一次式で変換できる。 氷点においても沸点においても摂氏<華氏であることに注意する。

アメリカ人の科学者とフランス人の科学者が、 実験装置の中の同じ水(氷でも水蒸気でもない)の温度を0.01度の単位まで、同時に測定した。 結果はまったく同じ値だったのだが、よく確かめてみたら、驚いたことに、 アメリカ人の測定装置は目盛りが華氏、 フランス人の測定装置は目盛りが摂氏だった。 (つまり絶対温度が同じ水について、華氏で測っても摂氏で測っても同じ値になった。)…(*)

実験に使っているのは、純粋な普通の水であり、 測定装置の異常、測定誤差、測定の誤りなどはないとする。

(1) 摂氏X度が華氏Y度であるとき、YをXの一次式で表せ。

(2) 同じ絶対温度に対して、摂氏と華氏が同じ値になることがありうるか。あるとすれば、それは摂氏および華氏で何度か。

(3) (*)が起きた理由について、問題の条件で、最もありうる可能性は何だと思われるか。 「たまたま温度計の先で微視的に変なことが起きていた」といった現実的にありそうもないひねくれたことでなく、 高校生でも分かるような「普通」の範囲で考えてください。

以下ネタばれですので、ご自身の力で解きたいと思はれる方は、それが済み次第お讀みになられることを推奨いたします。

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問1について

結論から言ふと、これは華氏と摂氏の変換公式さへ知ってゐれば、高校生はおろか中学生でも簡単に解ける問題です。華氏をX、摂氏をYとした場合、その変換公式は以下の通りとなります。

     9
X = -Y + 32
     5

そして、問題では「華氏と摂氏が等しい」といふ条件を出してゐるため、これを連立方程式にすると、

      9
┌X = -Y + 32 ……@
|     5
|
└X = Y    ……A

となり、これを一次方程式に直す(Aを@に代入する)と、

     9
X = -X + 32
     5

となります。

問2について

問1にて出てきた方程式をそのまま解きますと、

       9
   X = -X + 32
        5

 X×5 = 9X+32×5 
5X−9X = 160 
  -4X = 160 
   X = -40

となり、つまり、華氏及び摂氏がマイナス40度の時、それぞれ絶対温度が等しいといふことになります。

問3について

これは流石に中学生には難しいでせう。なぜなら、普通摂氏マイナス(氷点下)40度の時、水は液体ではなく固体の氷になってゐるからです。

最初、私は圧力鍋の原理の逆――すなはち「圧力が増えると凝固点(融点)は下がるのではないか」とにらんだのですが、調べてみると、沸点と違って凝固点は圧力の影響をあまり受けないさうです。となると、これでは説明出来ません。

となると、もはや説明出来るのは「過冷却」と呼ばれる現象しかありません。過冷却とは、静かに冷却していくと、凝固点(氷点)を下回ってもその液体が液体であり續けるといふ現象です(原理そのものは簡単で面白いため、小学生向けの理科教室などでしばしば披露されます)

前に讀んだ本では、過冷却によって水を氷点下20度まで下げることが出来る――と書かれてゐましたから、氷点下20度ぐらゐが水の過冷却の限界かと早とちりしてゐたのですが、よくよく調べてみると、どうも氷点下40度まではいけるさうです。しらなんだなあ。

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といふわけで、この問題は最低限の科学(物理)の知識とぐぐる(商標?)気力さへあれば、妖精現実の中ではそれほど難しいわけでもない、といふところとでファイナルアンサーといたします。

無題

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asahi.com:太陽系の惑星、一気に3個増か 国際天文学連合が新定義

水金地火木土天海冥が通用しなくなる日が来るのかな。理科の教科書も苦労しさうだが、なによりも今まで日本語で覚えておけば良かったのに、これからは横文字混じりになるんだなあ。どうせ日本式の呼び方なんて誰も定義しないだらうから、受験生も大変だ。

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livedoor ニュース - 太陽系惑星3個増える!?…水、金、地、火、セ、木、土、天、海、冥、カ、2003になるかも

……はぁ…。

颱風10号

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http://www.jma.go.jp/jp/typh/0610.html

といふか、これぢゃ予報円の意味を果たさないよ…。

まあ、気圧配置図を見ても、颱風が寄ってたつべき高気圧がどこにも見あたらないのだから、夏颱風独特の迷走っぷりを見せてくれるのかも知れない。

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……と思ったら、さっさと消滅の方向へ。それはそれで面白くないなあ。

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……なんて言ってたらまだまだ頑張ってゐるぢゃないか。強風圏なんてむしろ大きくなってゐるし。

神道と政教分離の話

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そもそも、天主教だの回々教だのといった一神教を主体とした西洋で(その諍いの反省として)生まれた「政教分離」と言ふ考へ方が、何故文化も宗教観念も異なる日本に、そっくりそのまま通用すると考へられるんだらうなあ(西洋にも多神教が存在してはゐたが、実際それが十字軍などの諍いの元になったケースは少ない)

神道の機能上、日本国に生まれた人間は自動的に神道の一員に組み込まれることになってゐるし、誰かを神として崇めることに対して、当人の意見やそれを拒否する権利は存在しない。祀られれば、その人がなんと言はうと「神」になる。他方、その神が祭る側に対して何らかの御利益を授けなければならない、と言ふ義務もなかった筈だ。

それは今で言へば「名誉国民」みたいなものであって、元々祭政一致の国だった往事の日本にとって、それが「宗教っぽい」色を帯びてくるのは、また自明の理だと思はれるのだけれど、私のこの考へは間違ってゐるのだらうか。

2

もちろん私は、以前のやうな国体ごと祭政一致にすべきだと主張してゐるわけではない。異なる宗教観がたとひ人類の平和を脅かす存在であったとしても、それは人が人としてとるべき道であるなら認められるべきだと思ふ。人道主義は人道主義と言ふ一種の宗教であるし、平和主義や国粋主義もまたしかりである。それを認めなかった結果が共産主義の悲劇だとするならば、私は、異なる価値観同士が諍いを起こす世の中の方が人間らしいあり方であると見なしたい。

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といふか、そもそも神道って本当に宗教(ここで言ふ宗教とは宗教分離すべきといはれる「宗教」)なんだらうか?

「宗教」の定義といふのがなんなのかは分からないが、神道において神は人の祖先であるし、神道そのものが何らかの教義を持ってゐるわけでもない。あるとすれば、「神を敬ふべし」「浄明正直に生きるべし」といふことぐらゐであって、たとへば、神を祖先に置き換へてみたときに、果たしてそこに今日でいふ「政治的な意義」は存在するのだらうか。

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久樹にとって靖国問題には、最初から他国の(特定亜細亜諸国の)話など毛頭にない。靖国問題で大事なのは、それは私たち日本国にとって一貫してゐるか(日本国の国体として、日本国憲法として矛盾してゐないか)どうかといふ話。

外交問題は政治的な問題であって、その中で宗教(らしきもの)の話を取り上げること自体が、既に重大な政教分離違反ではないか。ましてや、政治的主張を持って分詞に圧力をかけることなど、論外も好いところだらう。

5

日本人は神道を知らないのに神道を(政治的立場から)語らうとする。と、野嵜氏は以前述べてゐたが、まさにその通りだと思ふ。

6

といふか、別に小泉首相は出雲大社や明治神宮に参拝したわけぢゃない。もし神道そのものを宗教的に尊ぶのであれば、そっちの方が余程重要な施設であって、なんで靖国が神道そのものみたいな言はれ方をされるのだらうか。

7

より極端な話では、そもそも「戦争犯罪」といふ区別そのものが政治的であるといふ事実に、何故か誰も気づいてゐない。

気づいてゐないのか、敢へて言はないのか、それとも久樹が何か重大な見落としをおかしてゐるのか。

無題

些末な指摘。

Internet Exact Courseでは、IECは飽く迄もISOのおまけです。度々二つのサイトを交差させる事があります。閲覧者の方々には、ISOとIECは両方揃って一つのサイトであると認識して頂ければ幸いです。とされてをり、実際IECからISOへのリンクはちゃんと存在してゐるのだが、何故かInternet Site OpinionからIECへのリンクがどこにも存在しない(見つけられなかった)

出来れば、両サイトのトップページから相互リンクを設けた方が良いと思ひます。

無題覚書

無題

今日一番驚いたこと。

狸、猫、狐、熊、犬、鼬、スカンク、マングース、アザラシ、アシカ。これらの動物は、みな一様にネコ目の仲間であるらしい。すげえ、日本人の二大ペットである猫と犬は、それどころか熊まで含めてみんな生物学的には同じ仲間なんだ(ちなみに、『目』の範疇といふのは、人間――霊長目――で言へば、猿の類を全部ひっくるめたのと同じ)

Wikipediaの解説によると、ネコ目は別名食肉目とも言って、つまり、主に肉を主食としてゐるものがこの対象になるらしい。それにしたって、猫とアザラシが親戚なんだよと言はれたって、全くピンと来ないではないか(猿が人間の祖先だと言はれた方がまだ分かり易い)

いやあアレだ、ライオンや豹が猫の仲間なんていってゐる場合ではなかったのだなあ(まあ、あれはレベル(ネコ科)で同じなので、よりいっそ近縁であることは間違ひないのだけど)

無題

久しぶりにCSSコミュニティの功罪を評価するスレの初代スレを讀んでみたのだけど、いやあ、あの頃と比べればこの方面も随分変はったものだね。

……ひょっとしたら、変はってゐないのかな?

無題

それにしても、だ。人力検索はてな最大の功績は、投稿システムに「タイトル」を追放した事にあると私は思ふ。

内容を持ってタイトルとするシステムの御陰で、この手のサーヴィスでありがちな助けてくださいだの困ってゐますだのと言った不毛極まりない無駄タイトルでインデックスが埋め尽くされる問題から解放されてゐる。あれは、初心者が「ああいふ紋切り型なんだ」と思はせるほど初心者掲示板の間に浸透してしまってゐるのが問題(負の再生産)だと思ふから、他のサーヴィスも一考の價値はある。

窮鼠は何をしでかすか分からない

こちらに非がなくても、相手に“逃げ場”を用意せよ

この記事はIT業界の仕切り屋が教える売れるコミュニケーション術といふ題目で上のやうな意見を展開してゐるわけだが、何も仕事上のことだけでなく、むしろ日常生活の方にこそ、この「逃げ場」(逃がし場とでも言はうか)を用意しておくことは重要な意味を持つ。

特にネット上においては、論争に負けた人間が“粘着”に豹変するやうなケースも往々にあり、危険度はより高い。元来議論において相手に「言ひ逃れの余地」を与えるのも変な話ではあるのだが、そこで失敗すると「勝負には勝ったがそれ以上に厄介なものが遺った」なんて結果になりかねないのだから、相手のためと言ふよりむしろ自衛のために、平生心がけておいた方が良いだらう。

無題

1

それにしても、大抵のブログって驚くほど自己紹介が簡潔(あるいは、そもそも自己紹介が無い場合も)なのだけど、ブログって情報を発信したり交換したりするためにあるんだよね? 何で自分の名前さへも書かないんだらう。

一昔流行ったWebサイト作りの鉄則とやらには、自己紹介を書く事なんて常識過ぎてもはや語ることすら稀だった気がするのだが(まあ、それ以前にWebサイトで一番最初に作るコンテンツって大抵自己紹介だったりしたものだった。時にはそれしかなかったりしたのだけど…)

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ほーむぺーじは「家」どころか、「自分自身」なんぢゃねーのか

自己紹介っつーか、それも含めたサイトの総合案内。普段利用する分には全く困らないけど、そこから一歩踏み込もうと思へば、さういふ周辺情報があるに越したことはない。まあ、さういふ人(事)自体少ないのかも知れないけど。

といふより、実際今まで「あることが当然」だったわけで、それはそれなりに(私としては)役立ってゐたのに、それが急に「無くなっていく」事に対して違和感を覚えるわけです。自己紹介サイト紹介にしろ、ブログ独特のあのリソース間の「ゆるい結合」(ゆるい独立)にしろ、中途半端で再資源化しにくいログにしろ、どうもWeb2.0的な感覚に馴染めない今日この頃であります。

確かに、純粋にリソースの云々を問ふのであれば、著者のことなんて二の次なのだらう。だからこそ匿名社会も認められるのだらう。……ただ、上手くいへないのだけど、Web2.0って相互発信を主とする(?)筈なのに、その発信源たる人間に対する認識が稀薄化するといふのは、果たして本当に好いことなのだらうか。

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Webサイトで情報の劣化コピーをしないためには、独自情報を扱ふことが一番簡単な解決法であり、さういふ意味で言へば自分といふ個人情報は確かに唯一無二の情報ではある。尤も、普通に考へれば需要は殆ど無いわけだが。

無題

ブログ開設から3カ月後も更新している人が55%、Technoratiがデータ公表

最初「少ねえなあ」と思ってゐたのだけど、これ、実は前回調査よりパーセント値が増えてゐるらしい(+4.5ポイント)。

はてなブックマーク風に言ふならこれはひどいってところかしらん。

Webのデータは保存に不便

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久樹はいつも興味のある記事を見つけたら、後でスクラップにしようと思ってタブを開きっぱなしにしてゐるのだけど、ここのところずぼらをかましてゐたら、いつの間にか縦置きタブバー二段表示が標準状態になってしまった。44個もタブが開いてゐるってどういふことよ…。

成程、はてなブックマークが流行るわけだ。でも、本当に保存しておきたい情報はローカルに置いておかないと、今のWebは信用できないからなあ。

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で、本題。Webで公開されてゐるデータって、案外保存に不便だ、といふ話。

どこぞの――といふか「そこら中の」――ニュースサイトのごときフレーム・広告のオンパレードは論外として、真っ当なHTMLとCSSを利用してゐるやうなサイトであっても、標準ではCSSや画像はダウンロードされないし、サイト内のリンクは軒並みデッドリンクと化す。かといって、画像やCSSまでいちいち取り込んでゐたら容量が莫迦にならない。

RSSも、それはそれで便利な仕様だけれど、内容が要約だけの場合は結局話は同じであるし、全文書かれてゐたとしても、こちらは任意のデータだけを最初から抽出して欲しくて、別に定期的に購讀したいとか、さういふわけではないので、不便きはまりない。

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たぶん、現時点で一番妥当な解決策は、欲しい情報の部分だけコピーして、HTMLのテンプレートにでもはっつけてる。ってなところだらう。画像は……どうしようもなく面倒だなあ。いっそリッチテキストファイルの方が良いのかしら。それか、ワードパットからHTML生成――いや、それだとnot validのオンパレードか。うーん……。

無題

さとみかんが更新拾ってくれないナーと思ってゐたら、リダイレクト先変更するの忘れてたよorz

颱風日記

颱風7号(リンク先のデータは随時更新されます。以下全て同じ)

おろ? 紀伊水道北上コースかと思ひきや、紀伊半島突撃コースに変更? それとも名古屋へカミソリカーブコースかしら。ああ、なるほど、朝鮮半島の高気圧が颱風を圧してゐるわけか。海水温は颱風の勢力維持に必要なレベルほどで、これから陸地に近づくにつれて衰退していくのかな?

blogがweb logである必然性

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「とりあえずググる」を卒業!TOPエンジニアの検索術/Tech総研

これを讀んで思ったのだけど、blogが「web log」である必然性と言ふのは、ある面ではあまりないのかも知れない。といふか、ローカルでの情報を整理する「情報管理ツール」としてであれば、今のブログツールは非常に強力な機能を備へてゐるのではないだらうか。

ブログツールの「タグ」による情報管理は、考へてみれば今までOS側やファイリングソフトが提供してきたシステムの中には全く見られなかった概念だ。私は今まで、Webでは旧来の図書館的――所謂、階層や目次や牽引による情報管理こそが最も扱ひやすいといふ考へを持ってゐた(そして、今もさう思ってゐる)

しかし、これがローカルであった場合は話が違ってくるかも知れない。そもそもタグによる区分の弱点は、初めて情報を探す場合におおざっぱすぎるといふ点だった。たとへば、「ネタ」「Web」といふタグがあったとしても、讀む側にはそこから内容の具体性を全く見出だすことが出来ない。しかし、そのブログの筆者――つまり、情報を一度情報を通讀した人間にとっては、これぐらゐアバウトな分類でも、だいたいどのデータがどこのタグに属してゐるのか見当が付くし、あるいは、検索するにも都合がよいのではないだらうか(逆に、細かすぎる分類は検索の煩わしさを増大しかねない)

さう考へていくと、要するに、ブログツールがブログである必要はないわけだ。ローカル内(あるいは、ネット上で自分だけが讀める環境にある)自分用のメモ書きであれば、どこぞの誰かが書いた文章を丸ごとコピーしても問題ないし、個人情報の漏洩の心配もないし、それこそ炎上のやうな他者の目を気にする必要も全くない。必要があれば適宜公開用サイトで何かを書けば良いだけの話である。

もちろん、さうするとblogのもう一つの面である「We blog」の價値がなくなってしまうのだから、それはそれで問題なのかも知れないが、とにかく、一度自分のローカル内に非公開用のblogを置いてみようかなと思った今日この頃である。いやあ聡い人の考へることはやっぱり違ふねえ。…ん〜? 私が疎すぎるだけなのかorz

それにしても、全ての情報をメール化って、すげえ発想だな。

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blogといふより、むしろSNS的発想と言ふべきだな。何だ、さう考へたら以前三宅氏に教えてもらった事ぢゃないか。応用力なさ過ぎ>自分……orz

私物と公私の話

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会社の机の上に私物を置くことの是非についての個人的見解。

個人的には、フランスの公立学校でスカーフ着用を禁じる是非の話に似てゐるやうな気がいたします。要は、どこまで厳密に考へるか否かと言ふ話。ちなみに、今フランスがそれで大揉めしてゐることは周知の通り。

ただ、国家と違って、営利団体である会社と言ふものは、本質的に「業務に差し障りなければ特に言ふべきことはない」といふものです。ここで言ふ業務に差し障りとは、たとへば机が散らかってゐてものが探しづらくなるとか、あまりにも社会通念上許容出来ないものを飾ることで職場雰囲気を悪化させたりとか、さういふものでせう。

翻って、取り敢ず業務に支障がないだらうとみなされる私物――たとへば家族の写真などを飾ることは、すなはち「公私の分別がつけられてゐない」と断ずるのは難しいのではないでせうか。当たり前の話ですが、公の場においても個人の尊厳は認められます。公とはロボットになることではありません。

うちの会社では、(所定の基準を満たせば)職場で音楽を聴くことも許されてゐます。町工場では、仕事中にラジオを流してゐるところも多く見かけるところでせう。あれとて別に業務に必要なものではありません。業務能率を落とさない程度の嗜好は許容されるべきです。

尤も、その私物をどう見るかもやはり個人の自由であり、その個人が上司であった場合は、それが職場基準になることはまあそんなものでせうが。

2

よく分かりませんが、どうもFUMING氏の釣りだった模様

まあ、それはそれで構はないのですが。

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